二三三号機関車
にひゃくさんじゅうさんごうきかんしゃ
概要
本件は、逓信省鉄道作業局が汽車製造合資会社に発注して明治36年度(1903~1904)に竣工した蒸気機関車で、我が国で初めて量産化された230形式の一両である。
鉄道網の全国的発展によって機関車需要が増加し、輸入から国内生産への期待が高まる中、汽車製造合資会社では需要への即応性と保守管理上の容易性など技術的な面を考慮し、機関車新造に際しイギリス製の官設鉄道A8形をモデルベースに採用した。車輪、車軸など一部は輸入品によるものの、走行装置、シリンダなどは陸軍大阪砲兵工廠より指導を受けるなど国産技術の粋を集め、同34年から同42年まで51両が同社で製造された。この機関車は飽和式単式蒸気機関、2気筒、先輪2、動輪4、従輪2、車軸は各1をもち、石炭庫と水タンクが一体化した1B1形式タンク式蒸気機関車である。A8形と外観は酷似するが、動輪直径を小さくして使用圧力を高め、クロスヘッド滑り棒を2本から1本に変更し、前面窓の高さ等を日本人の体格に合わせて改良するなど細部の仕様に相違点がみられる。先・従輪に急曲線の通過を容易にするためのラジアル台車を用い、動力伝達機構には当時一般的であったジョイ式弁装置を備えた。火室を銅板、煙管を真鍮製とし、安全弁はラムスボトム式、注水器(インジェクタ)はノンリフティング式を用い側水タンクの下に設置した。ブレーキ装置は真空式と手動式を併用する。
本233号機関車は、明治41年に姫路機関庫に配属され山陽本線近郊列車の客貨車用としての使用を皮切りに、中国・四国方面で活躍し、昭和34年に廃車となった。同42年に展示を目的として復元的改変が加えられて交通科学館(後の交通科学博物館)にて保存・展示されたが、同館の閉館後に平成28年の京都鉄道博物館開館にあわせ移管された。
本機関車は現役時における部品の交換やその後の復元的改変があるものの、製造時の形式番号を踏襲し、形式変更を伴うような全体的な改変がなされないまま使用された。国産初の量産蒸気機関車として輸入機に比しても遜色ない性能を発揮し、その成功が日本の蒸気機関車製造の国産化の原点となった。量産化の達成は、外国の技術に依存していた我が国の機関車製造の自立にとって大きな転換点となり、近代化に大きく貢献したといえ、鉄道史、産業史上に貴重である。