高松城天守鯱
たかまつじょうてんしゅしゃちほこ
概要
高松城天守の鯱について記載がある古文書に「盛衰記 水」、「小神野茟帖 仁」、「小神野夜話 壹」、「小神野夜話 巻一」、「消暑漫筆 壹」が知られているとともに、製作年代、作者についても、本鯱の記銘と合致している。天守解体(明治17年(1884))後は、高松藩家老の御子孫の話しでは、解体を行った陸軍省が鯱2口を払い下げ、1口が神戸の骨董屋、他方の1口が市内兵庫町の住人により所有されることになり、後に後者のものが藩主であった松平家に返却されたと伝わっている。その後の昭和29年(1954)、高松市が高松城跡を松平家から譲り受けた際に、本鯱を所有することになったものである。