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高岡劇場スクラップブック

たかおかげきじょうすくらっぷぶっく

概要

高岡劇場スクラップブック

たかおかげきじょうすくらっぷぶっく

その他 / 昭和以降 / 日本

富山県高岡市

昭和12~30年頃/1937~55年頃

紙,金属・印刷

【1】縦30.5cm×横23.2cm×厚さ3.3cm
【2】縦30.0cm×横22.8cm×厚さ2.1cm
【3】縦29.0cm×横21.8cm×厚さ1.9cm
【4】縦30.8cm×横22.0cm×厚さ3.0cm
【5】縦30.7cm×横22.0cm×厚さ2.9cm
【6】縦30.0cm×横22.0cm×厚さ1.8cm
【7】縦30.0cm×横22.0cm×厚さ1.8cm
【8】縦30.6cm×横23.3cm×厚さ2.5cm

8冊

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-03-43

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡の映画黄金時代(昭和20年~30年代前半頃)をリードした、高岡劇場(注1)に関する新聞記事のスクラップブック8冊である。
 記事以外にもロゴマークの原本と思われるものや、各種の優待券、桜井社長(注2)の死亡記事などもあることから社長の近親者、もしくは高岡劇場の社員が作成した可能性がある。詳細調査はこれからだが、以下、各冊について概要を記す。
 市販のスクラップブックが使用され、表紙の剥がれや、貼り付けられている新聞記事の退色が激しい。

【1】スクラップブック「創業開館 昭和十二年十二月十五日 高劇新聞広告記録 昭和十三年 十二月第二週迄」
表紙には、黒マジックの縦書きで標記のように記される。
高岡劇場が昭和12年(1937)12月15日に開館することを宣伝した新聞記事と高岡劇場で公演予定の作品の宣伝記事が主に貼り付けられている。切り抜き記事には、日付と新聞社名(越中新聞など)が横に記載されているものとそうでないものがある。
 切り抜き記事によると、高岡劇場の開場式は、昭和12年12月15日午前10時30分より始まり、桜井宗一郎(1886~1951)社長、施工の清水組(現清水建設)山崎金沢出張所長、渡邉名古屋配給所長、東宝映画スターの大川平八郎、清川虹子、高峰秀子らが参列したとある。そして、清水組に表彰状を授与して、午前11時に閉式し、午後1時からは、有志500名を招待して会場披露興行を行なったとある。
切り抜き記事の枚数は227枚である。

【2】スクラップブック(題名なし・年代記入なし)
 表紙に年代の記入がされていないが、『あの高地を取れ!』(1953年公開)、『ケイン号の叛乱』(1954年公開)や『大いなる希望』(1954年公開)、『悪魔のような女』(1955年公開)などの映画記事があることから昭和29年(1954)頃の切り抜き記事だと思われる。
切り抜き記事の枚数は64枚である。

【3】スクラップブック「22~23」
 表紙には赤マジックで標記のように記されている。昭和22~23年(1947~48)の新聞記事が切り抜いて貼り付けられている。また、高岡劇場の招待券や優待券も一緒に貼り付けられている。
切り抜き記事の枚数は182枚である。

【4】スクラップブック「25年~26年」
 表紙には赤マジックで標記のように記されている。昭和25~26年(1950~51)までの高岡劇場のチラシが切り抜かれて貼り付けられている。また、昭和26年4月5日から5月25日まで高岡古城公園で開催された高岡産業博覧会の協賛映画『白雪姫』の学生団体優待ハガキも貼り付けられている。
切り抜き記事の枚数は71枚である。

【5】スクラップブック「26年」
 表紙には赤マジックで標記のように記されている。昭和26年(1951)の高岡劇場の新聞記事が切り抜いて貼り付けられている。また、高岡劇場の初代社長である桜井宗一郎の死亡(昭和26年5月31日)記事も貼り付けられている。
切り抜き記事の枚数は335枚である。

【6】スクラップブック「KOGEKI」(年代記入なし)
 表紙には黒マジックで標記のように記されている。年代が記入されていないが、「Happy New Year 1954」と新年挨拶の記事があることから、昭和29年(1954)前後の切り抜き記事だと思われる。
切り抜き記事の枚数は160枚である。

【7】スクラップブック(題名なし・年代記入なし)
 【8】と同じスクラップブックが使われている。表紙には年代が記入されていないが、「おめでとう!1954年初春の高劇御案内!」の記事があることから、昭和29年前後の切り抜き記事だと思われる。
切り抜き記事の枚数は119枚である。

【8】スクラップブック「25?-30」
 表紙には赤マジックで標記のように記されている。昭和25年(1950)頃から同30年(1955)までの新聞記事が切り抜いて貼り付けられている。
付属品に昭和30年4月15日に発行された「高岡映画プレス」という題名の印刷物がある。高岡劇場の公開予定作品やロケ中の映画の記事などが掲載されている。
切り抜き記事の枚数は256枚である。

<注>
1.高岡劇場(高劇)は『高岡市史』下巻(高岡市史編纂委員会、昭和44年)p1182~1183や朝倉吉彦『高岡市史「現代編」編さん研究ノート「国際交流・芸術」』(高岡市史編さん室、平成18年)p174~75,201によると、当初は「高岡映画劇場」と称し、のち「東宝高岡劇場」とし、昭和28年に「高岡劇場」と改称したとあるが、本資料の記事では、当初から「高岡劇場」と称していたようである。同15年、後ろに隣接して「文化ニュース映画劇場」(のち「文化劇場」(文劇)と改称)が設立された。高岡劇場の姉妹館で社長も同じ桜井宗一郎(1886~1951/注2)である。本資料の記事にも両館の広告が並んで掲載されており、両館を「高劇系」と総称したことがわかる。高岡劇場は昭和24年(1949)の市内映画館・劇場の総入場者数で第1位の377,177人(幼小児除く)であった(当時の市人口140,835人)。しかし両館ともに同63年(1988)に閉館した。
2.高田幸男「桜井宗一郎」 HP「富山大百科事典[電子版]」(平成29年9月1日アクセス)

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