湊川砲台写真
みなとがわほうだいしゃしん
概要
1872年2月1日発行の英字新聞『The Far East』に類似する写真が掲載されていることから、同時期の撮影と考えられます。石堡塔の周囲に配された土塁の下段は石積みとなっていたことがわかります。八角形の屋根は、明治維新後に陸軍が石堡塔を火薬置場として用いるためにかけたもので、本来は屋上にも砲座が設けられていました。ただし、後補の屋根は風雨で損傷を受けたためか、その後の陸軍の史料によると湊川砲台の石堡塔の「雨覆」の修理伺いが出されています。湊川砲台とその敷地は、明治以降、陸軍省の所管となりますが、明治24 年(1891)の火災で内部の木造部分が焼失したため、解体されました。
【開国・開港】