北野大茶湯図
きたのおおちゃのゆず
概要
天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉が京都・北野天満宮にて大茶会「北野大茶湯」を催し、身分にこだわらず広く参加を呼び掛け、建てられた茶屋は800あるいは1500とも言われる。本作は復古やまと絵の画家・浮田一蕙が、北野大茶湯から約250年後の天保14年(1843)前後に描いた想像図。北野松原の至るところで茶席を設ける人々を描く。同じく一蕙による複数の類似作例が確認でき、人気の画題であったことがうかがえる。
本作には書きこみがないが、天保14年の年紀をもつ北野天満宮本には高札文、三飾席茶道具、天正名物記(天正年間の京の茶人の所持道具についての記録)、人名・地名などが書き込まれており、『太閤記』など複数の史料を基に描かれたことが推測される。
なお、北野大茶湯では三つの飾席と四つの茶席が設けられたとされる。三飾席は拝殿に設けられたことが概ね定説となっているものの、四茶席は拝殿の四隅に置かれた説と、拝殿の外に四畳半の茶席として設けられた説の2説に分かれている。一蕙は拝殿の外に設けた説をとったようで、本作に書き込みはないが、北野天満宮本には「利休」「関白様」「宗久」「宗及」と書き込みをもち、四つの茶席が画面右上、右近馬場付近に描かれている。
参考文献:『北野大茶湯‐天正から現代へ‐』展図録(茶道資料館、2020年)