孔雀図
概要
長島藩(現・三重県桑名市長島町)の5代藩主・増山雪斎は、藩政の傍ら、書画、煎茶、囲碁など諸芸に通じ、江戸時代後期を代表する文人大名として知られる。
1731(享保16)年、長崎に来舶した中国画人・沈南蘋は、精緻かつ鮮麗な花鳥画を日本に伝え、その画風は当時の画壇を席巻した。南蘋の威厳ある花鳥画の様式は、大名をはじめ上流階級の人気を得た。雪斎は南蘋派の一人として知られている。
雪斎が南蘋風の花鳥画、とくに孔雀図を好んで描くようになったのは、1801(享和元)年に藩主を退いた後、晩年のことといえる。本作品は、その一つであり、双幅に真孔雀と白孔雀を配し、右幅には鶯、白木蓮、紅梅、左幅に四十雀、柘榴、薔薇を、季節を考慮して描いた力作である。真孔雀は、群青や緑青により羽の複雑な発色が表現され、金泥や濃墨による細かな毛描きも施されている。数点知られる雪斎の孔雀図のなかでも、とりわけ精彩を放つ一点である。