小林源之助著 蝦夷地草木写生図
こばやしげんのすけちょ えぞちそうもくしゃせいず
概要
小林源之助(本名は小林豊章、のち周助と称した)は寛政4(1792)年に幕府の命を受け、最上徳内や和田兵太夫ら12名と蝦夷地と樺太の調査を行った。彼は、その時に訪れた蝦夷地の西海岸地方や樺太地方の山や川、海岸の見取図や人物、さらに動植物も描いたといわれている。
「蝦夷地草木写生図」には草木類57図を図示したもので、寛政5年に上呈されたもののようである。このうち北海道で写生した植物は28図、樺太で写生した植物は29図である。この写生図には蝦夷地の西海岸地方に位置する福山(現松前町)、石崎村(現松前町)、江差、苫前、宗谷と樺太地方の西海岸のクシュンナイ(久春内)や東海岸のトウブツ(遠淵)に生育する草本類が描かれている。ここには小林源之助がたどった地域は言うに及ばず、その草本類のどれについても彩色も含め、各植物が細部にわたり正確に描かれている。このことから、詳細な記述を含んだ本草学の意味づけをもった実用書として後世の薬草研究者に貴重なものと大切にされたのもうなずける。
さらに、当時の北海道とサハリンの植物の生育状況を知る手がかりとして、また当時の我が国の博物画としての写生画技術を知る上でも貴重な資料である。