色紙団扇散蒔絵料紙箱
シキシダンセンチラシマキエリョウシバコ
概要
明治六年(一八七三)のウィーン万国博覧会に出陳された後、日本に持ち帰えられることとなった品々はフランス商船に積み込まれ、横浜へ向かった。しかし、舟は到着直前の伊豆半島沖で座礁、沈没。北条政子遺愛の品と伝えられる鶴ヶ丘八幡宮所蔵の手箱などは今も海底に眠る。翌年、政府は潜水夫を雇って積み荷の一部を回収。その中に本料紙・硯箱があった。一年以上海水に浸かっていたにも拘わらず、外傷がほとんどなかったため、漆塗りと蒔絵の強さが評判となった。