絵葉書「高岡中学校創校十年記念」
えはがき「たかおかちゅうがっこうそうこうじゅうねんきねん」
概要
旧制高岡中学校(現・富山県立高岡高等学校)の創校10周年記念絵葉書である。
裏面(写真面)には校舎のイラストがあり、キャプションに「高岡中学校」とある。そして記念スタンプ「創校十年紀年/40.5.24/高岡中学校」が捺されている。何枚組かの内の可能性もある。使用済(エンタイア)である。
絵葉書の型式は表面(宛名面)に通信文スペースの無い時期(明治33~39年)であるが、後に発信者が通信文欄を区切る線を引いている。1銭5厘の切手(大日本帝国郵便)に明治42年(1909)4月13日の高岡郵便局の消印がみられ、中央に同日の金沢郵便局のスタンプがある。
当館は、1-05-1 絵葉書「富山県立高岡中学校 校舎改築落成記念絵葉書」4葉(昭和12年)も収蔵している。
【高岡中学校】たかおかちゅうがっこう
1898年(明治31)高岡市長堀二作(にさく)の尽力によって富山県高岡尋常中学校として創立,高岡市博労畳町(ばくろうたたみちょう)の旧大谷派教校を仮校舎に授業を開始する。初代校長は堀卓次郎で,1学年59人,2学年17人であった。仮校舎は著しく劣悪であり,ただちに敷地の買収と新校舎の建設が始まる。翌年,富山県第二中学校と改称し,桜の校章を制定。制帽に入れた2本の白線は〈二中〉の象徴だった。同年5月,射水郡下関村大字中川(現高岡市民総合文化広場)に2万4200平方メートルの敷地を買収,校舎が新築され創校式を挙げる。1901年県立高岡中学校と改称。23年(大正12)には規模が最大となり,定員1000人20学級となったため,校地・校舎が拡大された。35年(昭和10)校舎が老朽化したため改築に着手し,37年に総工費19万9300円をかけて新校舎が竣工。木造建築物としては当時,県内でも有数のものであった。校歌は1911年(明治44)に〈志貴野(しきの)の四季の…〉が制定され,33年(昭和8)に新校歌〈白露黄金の…〉が定められる。
48年の学制改革に伴い,高岡中学校併設中学校を置くとともに,高岡高等学校が発足する。志貴野同窓会に所属する同窓生は6353人(1993.4)。政界・財界・学会に多数の人材を輩出しているが,第1回卒業生に松村謙三,第3回卒業生に正力松太郎・河合良成がおり,館哲二・高辻武邦・吉田実の各公選知事も同窓生である。〈中明文男〉
(『富山大百科事典(電子版)』2010年、北日本大百科)