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伊藤博文書簡 伊藤梅子宛 明治21年(1888)9月10日付

いとうひろぶみしょかん いとううめこあて

概要

伊藤博文書簡 伊藤梅子宛 明治21年(1888)9月10日付

いとうひろぶみしょかん いとううめこあて

伊藤博文  (天保12年(1841)~明治42年(1909))

いとうひろぶみ

縦19.5㎝×横159.0㎝

一通

わが国の海軍力強化のため、日本海沿岸を視察旅行中の博文(枢密院議長)が高輪邸(現・東京都港区高輪)の妻梅子と次女生子に送った書簡。海軍大将・西郷従道が随行し、一行は軍艦5隻を従えて、朝鮮国元山やロシア領ウラジオストクなどの軍港を視察した。この翌年、日本政府は対ロシア戦略の拠点として、舞鶴(京都府)に日本海沿岸の防衛・警備を担う鎮守府と軍港の設置を決めた。
【訳文】
去る5日午前1時に神戸を出港し、翌7日早朝馬関へ到着、軍艦の都合で明後12日まで滞在するつもりです。同日午前に出港し、対馬へ立ち寄り、13日朝鮮釜山港へ到着の予定です。同港で仁川からの軍艦を待ち受け、それから元山津、ウラジオストク港へ廻り、帰りがけに隠岐の島へ立ち寄り、越前敦賀港から上陸し、陸路東京へ帰りますので、来る26、7日頃までかかるはずです。その後、ご病気はいかがですか。追々寒冷な季節になりますので、少々は快方に向かわれることと思いますが、遠くのことなので心配しております。ご隠居様へもよろしくお伝えください。建築も追々できてお喜びのことと拝察いたします。めでたく草々不尽
9月10日
                               博文
楳子どの、生子どの
二伸今日は梅処尼の頼みによって、西郷大臣一同、吉田の高杉の墓参りに出かけます。

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