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法被 「伏木廻漕業 一宮半助 」

はっぴ「ふしきかいそうぎょう いちのみやはんすけ」

概要

法被 「伏木廻漕業 一宮半助 」

はっぴ「ふしきかいそうぎょう いちのみやはんすけ」

民俗 / 明治 / 富山県

富山県高岡市

(明治~昭和初期)

木綿,麻・手縫い, 染色

①身丈83.2cm,裄60.5cm,袖丈33.3cm,袖口32.0cm
②身丈84.0cm,裄59.7cm,袖丈32.5cm,袖口33.7cm
③身丈84.2cm,裄59.8cm,袖丈35.0cm,袖口33.0cm
④身丈89.0cm,裄65.4cm,袖丈40.0cm,袖口37.6cm

2種4点(3着と1着)

富山県高岡市古城1-5

資料番号 2-04-69

高岡市立博物館

江戸末期から明治期に栄えた廻船問屋「一宮半助」の法被2種4点である。
 3点(寸法①~③)は「伏木一宮」と白で染め抜かれた両衿に正方形の中に曲線を用いずに描かれた角文字の「廻漕」、背には赤で屋号(標章)が共に染められた手縫いの木綿の単である。袖口布に茶の木綿を使用している。
 他1点(寸法④)は衿に「伏木」「一半」、裾に角文字で「半」が染められた手縫いの麻の単で4点とも状態は良好である。
 一宮屋半助(一宮半助)は慶応元年(1865)4月石州浜田外ノ浦(清水家)へ勢通丸入津に始まり、明治11年(1878)『船主祈願所』(当館蔵八坂家文書)に弁天丸の船主として名がある。明治33年には船荷問屋・廻漕業を経営し伏木問屋㈾社員となる。『中越商工便覧』(川崎源太郎、明治21年初版)に「米穀其他各國産物船荷問屋船舶廻漕業 伏木港中道町 一宮半助」とあり、明治25年(1892)の『日本全国商工人名録』の「越中國射水郡伏木町商工人名 明治23年8月現営業者」に「北海産物米穀其他諸品委託問屋 日本郵船会社荷客取扱所 并船舶廻漕業 一宮半助」とある。なお明治期の中道町(現:高岡市伏木中央町の一部)、隣町の本町(現:高岡市伏木本町)には同業の廻漕問屋、並びに船荷卸商、七軒問屋と言われた能登屋(藤井家)や鶴屋(堀田家)など伏木を代表する廻船問屋の居宅があった。

【主要参考文献】
・『中越商工便覧』(川崎源太郎、明治21年初版)
・『越中伏木湊と海商百家』、正和 勝之助著、1995年桂書房発行
・『高岡市古書古文献シリーズ第六集「中越商工便覧」(高岡市関係)「日本全国商工人名録」(富山県関係)』 復刻版 平成11年3月31日 高岡市立中央図書館発行
・『角川日本地名大辞典 16 富山県』、「角川日本地名大辞典」編纂委員会、昭和62年再版、角川書店発行

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キーワード

伏木 / 高岡 / 商工 / 発行

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