川島の浜の地蔵
かわしまのはまのじぞう
概要
川島の浜の地蔵
かわしまのはまのじぞう
徳島県
江戸/1843
石製の地蔵、地蔵と台座(砂岩)、台座基礎(緑泥片岩:青石)
全高3m72cm、台座高2m67cm、地蔵高1m5cm
1基
徳島県吉野川市川島町川島210番地33
吉野川市指定
指定年月日:20210323
川島字城山の岩の鼻展望台の下西側の吉野川に面した麓、川島の浜(川湊)に立つ、川島の浜の地蔵である。
吉野川流域に点在する台座が高い地蔵は、暴れ川の洪水遺産であり、中流部の低平地に多く集まっており、土地が低く被害が大きかったと思われる場所ほど台座が高くなっている。
台座が高い地蔵は、洪水から地蔵尊の像を守ろうとする先人たちの信仰心によって生まれたが、それだけではなく、身近な地蔵に供花・供物を捧げ祀ることにより、毎日の暮らしの中で洪水の恐ろしさを忘れることなく、水防への心構えと水の危険性を子々孫々に伝承してきた無形の民俗文化でもある。
川島の浜の地蔵は、周辺の地面の高さから基礎部分を含めて台座高が2m67cmあり、吉野川流域の台座が高い地蔵のなかでは第3位である。吉野川に溺死した人々の冥福を祈って供養のため、天保14年(1843)4月に建立された。
古くから、毎年8月24日の縁日には、ムシロを敷き百万遍の数珠を操り地蔵をお祀りしており、遠近の人々が参詣するので夜市も立ち、灯籠流しも行われる盛況で、時には浪曲の余興や花火の催しさえあるほどで、地方の一名物となっていた。
台座には、三界萬霊(過・現・未の関係者の霊を祀る碑という意味、供養塔と同じ)と題して、銘文が刻まれている。また、台座には願主として、後藤田、阿部、中村、川村、大島姓など、川島の有力な藍師・藍商だった姓と同じものが刻まれており、川島の浜は川島の藍師が徳島の藍市に藍玉を運ぶため船に積み込みをしていた地で、吉野川の川湊として栄えていたことから、藍玉を運ぶ船の安全を願い設置されたとも考えられている。
有形民俗文化財