文化遺産オンライン

絵葉書「陸軍特別大演習記念絵葉書」

えはがき「りくぐんとくべつだいえんしゅうきねんえはがき」

概要

絵葉書「陸軍特別大演習記念絵葉書」

えはがき「りくぐんとくべつだいえんしゅうきねんえはがき」

その他 / 大正

発行:富山県,製作:富山県工業試験場

とやまけん,とやまけんこうぎょうしけんじょう

大正13年11月/1924年

紙・印刷

各 縦14.2cm×横9.0cm

3葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-196

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

大正13年(1924)に富山県で行われた陸軍特別大演習の記念絵葉書である。すべて未使用。
3葉ともに、表面上部に「郵便はかき」、切手欄に「内地には/壱銭五厘切手/外国には/八銭切手」とある。中央に「陸軍特別大演習記念」、「CARTE POSTALE」とある。下部に「富山県発行 富山県工業試験場製作」とある。

【1】「大演習」と倶利伽羅合戦で知られる「砺波山古戦場」の写真が掲載されている。5つの銀星、3つの桜の花、2枚の紅葉、倶利伽羅合戦の火牛を模した絵などが描かれている。

【2】「高岡公園」と「富山県庁」の写真が掲載されている。山・雲・海の上を飛ぶ鳳凰を模した絵が描かれている。

【3】銅器や漆器などが陳列された「重要特産」、「伏木港」の写真が掲載され、その間に「蜃気楼」の絵が描かれている。立山・富山・高岡・砺波山古戦場の位置が記された富山県の略図の他、ホタルイカ・稲穂・反魂丹などの薬が描かれている。

付属のタトウには「大正十三年十一月/陸軍特別大演習記念絵葉書/富山県」とあり、戦闘機を模した絵が描かれている。


<参考>
【陸軍富山大演習(りくぐんとやまだいえんしゅう)】
明治25年(1892)に始まり、同40年から昭和11年(1936)まで毎年行われた陸軍特別大演習は、大正13年(1924)に富山と石川で行われた。当時、摂政宮と称した裕仁親王(後の昭和天皇)の行啓も行われた。
HP「富山県護国神社」 http://www.toyama-gokoku.jp/

【蜃気楼(しんきろう)】
景色の上に逆さの像ができる自然現象。富山湾で、主に4月から6月にかけての暖かく風の弱い日に現れる。暖かい空気の下は冷たい富山湾の海に冷やされて上暖下冷の空気層になる。この層を通って蜃気楼ができる。
富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典』上巻,北日本新聞社,1994

【伏木港(ふしきこう)】
 高岡市と新湊市(現射水市)の市境、小矢部川河口を中心とする国の特定重要港湾。正式名称は伏木富山港伏木地区。富山港や富山新港とともに伏木富山港を形成している。
 港としての機能は、大伴家持が越中国守として着任した当時からであったが、近世になって初めて港として表舞台に登場し、寛文3年(1663)幕府の船政所13港の1つに指定される。明治32年(1899)開港場指定、昭和に入り日本海沿岸随一の港として発展。昭和39年(1964)石油配分基地用埋立地が、翌年国分港にタンカー専用岸壁が完成する。同50年7月に旧ソ連のワニノ港との間に定期配船が開設、日本とナホトカ港間の定期船も毎月寄港している。明治24年(1891)藤井能三が「伏木築港論」の中で記したとおり、ソ連社会主義崩壊後の環日本海経済圏の浮上で、対岸貿易の重要性が増してきている。来航船舶の大型化、河口部の浚渫費増大、石油配分基地に隣接する民家の安全性確保などの解決策として、平成元年(1989)から伏木外港が建設着工された。
富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典』下巻,北日本新聞社,1994

【砺波山(となみやま)】
 小矢部市と石川県津幡町との間に位置する倶利伽羅山の古称。広義には付近の矢立山・源氏ヶ峰・国見山なども含める。古くから交通の要所で越の三山の1つ砺波関は、この山麓に置かれた。「万葉集」の歌題にもなり、手向けを扱った歌が多い。寿永2年(1183)5月の倶利伽羅合戦の舞台となり、現在も史跡が点在している。鎌倉期の承久の乱では越中の野尻氏・河上氏・石黒氏らが上皇方に加わり幕府の北条朝時軍と戦うが、砺波山黒坂・志保で敗北し降伏したとされる。
富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典』下巻,北日本新聞社,1994

関連作品

チェックした関連作品の検索