花巻城内伊藤家住宅
はなまきじょうないいとうけじゅうたく
概要
「花巻城内伊藤家住宅」(以下、伊藤家住宅)は、花巻市三の丸の通称舘小路に所在する建物です。
伊藤家は、代々百石以上の家禄を給されていた花巻御給人の家系で、棟札が失われていて、築造年代は不明ですが、向かいにある松川家住宅(文政3年(1830)建立の棟札が残る建物。棟梁は初代・高橋勘次郎)より20年前の建立で、高橋勘次郎が関わったとの言い伝えがあり、このことから、この建物を建てた時期は文化七年(1810)頃と推定されます。
建物の床面積は131.56平方メートルあり、1坪を6尺3寸間で計算すると36坪となります。これは、盛岡藩が安永七年(1778)に出した『建坪割令』の百石~百五十石の諸士(さむらい)の住宅規模に一致します。
伊藤家住宅は、百石級の中級諸士居宅の典型的な間取りで構成され、五十石以上に許されている「げんかん」と「しきだい」を有しています。「食い違い四間取り」である間取りは、正面向かって左側の「しきだい」「げんかん」「ざしき」と、右側の「どま」「だいどころ」「はいりぐち」「おじょい」「おいま」の大きく二つの空間で構成され、1.5間の「げんかん」と「しきだい」は、お成り入り口としての機能を有し、「げんかん」から「ざしき」と南北に連なる二室は表居間として武家住宅の所謂「ハレ」の「客座敷」で接待空間になります。対して右側は、武家住宅の「ケ」の空間、家人の日常生活の場所となります。これらを結ぶのが「おえん」の「にじり」であり、武家住宅の「ハレ」の「ざしき」としての体裁を高めています。
伊藤家住宅は、向かい合う松川家住宅とともに、花巻城内に残る花巻城が機能していた当時の建物として貴重です。