齋藤家住宅
さいとうけじゅうたく
概要
江戸中期に現可児市から移転し、歴大聖人で金融業を営む。明治中期から昭和初期にかけては養蚕を行っていた。近年では敷地内に美術館を併設し、主屋1階の一部で小物販売と軽飲食ができるカフェとして公開している。
主屋は慶応元年(1865)家相図、安政2年(1855)、嘉永5年(1852)の図(絵画資料)と、土地の売買を示す文政13年(1830)「文政十三年八幡町家屋敷間尺御改帳」の文献資料がある。西側4間分の表から2間目に手斧仕上げの差し物、2~5間目の土間境の手斧梁とその痕跡から、西側4間分は江戸時代後期まで遡る可能性があり、東側3間分は慶応元年以前と考えられる。
道具蔵は文化13(1816)年の普請帳にある「西方間口九尺裏行三間半」の土蔵と規模がほぼ一致するため、文化13年の建築と考えられる。
質物蔵は天保2(1831)年に普請契約と天保6(1835)年3 月には普請祝儀受納帳の文献資料があることから天保6 年竣工と考えられる。