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矢口家長屋門,筆子塚

やぐちけながやもん,ふでこづか

概要

矢口家長屋門,筆子塚

やぐちけながやもん,ふでこづか

史跡 / 関東 / 茨城県

茨城県

 (1)長屋門
 木造平屋建て,入母屋造り,瓦葺で,左右の部屋の正面は漆喰塗壁で腰が板張りとなっている。板張りの部分については,近年の補修箇所も見られるが,和釘が打ちつけられているところが所々見られ,建築年代をうかがわせる。屋根を瓦葺にした際に,多くの部材が改められたことから,正確な建築年代は定かではないが,19世紀後半の建築と推測される。門前から見て左側の部屋は,19世紀後半,近隣の子供たちに勉強を教えるために使用され,さらに,部屋の上部には,物を置くことのできる空間があり,明り取りが,道路方向に設けられている。かつて,この地域では水害が多発したことから,矢口家の長屋門の屋根裏部屋は,非常時に重要な物を運び入れる場所の一つとして使用されたものと見られる。次に,門前から見て右側の部屋は,自家消費する醤油,味噌を仕込む部屋として使用していたとのことで,現在も樽や大型の桶,醪を絞るフネと呼ばれる道具が内部に残されている。後年,大型の米の乾燥機械を入れたとのことで,現在も部屋の半分近くをその機械が占めている。外観としては,地震や台風等の影響で,上部の漆喰塗壁の一部が崩落し,下地が見えている。さらに,下部の板張りの一部についても,西側を中心に板が破損し,下塗りの土が崩れ,竹で組まれた木舞も破損しているところが見られる。所有者によれば,屋根は昭和40年代に瓦葺に葺き替えられる以前は茅葺であったとのことである。
 (2)筆子塚
 文政10年から明治5年にかけての当主が長屋門の部屋で近隣の子どもたちに勉強を教えていたとされ,明治14年にその教え子たちが恩師を慕って矢口家の敷地内に筆子塚(顕彰碑)を建立したものである。碑文によれば,矢口家が旗本三枝氏の所領内にあり,名主であったこと,帯刀を許されたこと,農業のほか酒造業を営んでいたこと,近郷近在の子弟数多に勉学を教えていたこと等々が刻まれている。当該筆子塚は,矢口家の敷地内のやや小高い盛土の上に建てられており,保存状態は良好である。

茨城県龍ケ崎市大留町

龍ヶ崎市指定
指定年月日:20141224

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