真宗本廟東本願寺 能舞台
しんしゅうほんびょうひがしほんがんじ のうぶたい
概要
真宗本廟東本願寺は、真宗大谷派の本山寺院で、慶長7年(1602)、徳川家康が寄進した現在地に東本願寺が分立して境内が整備された後、4度に及ぶ罹災の度に門徒の篤い信仰のもと伽藍を再興した。元治の大火(1864)後も創立以来の境内構成を踏襲しつつ、遠忌などの節目に伽藍を充実し、御影堂、阿弥陀堂などの堂舎群と大玄関及び大寝殿などの殿舎群は、境内を画する築地塀や諸門とともに、近世来の規模と形式を遵守し、伝統を色濃く残した境内構成と景観を呈する。さらに、亀岡末吉設計の白書院、黒書院、菊門、宗議会議場である議事堂、数寄屋風の洗練された意匠を持つ桜下亭などは近代の和風意匠の充実や近代的な機能の付与を示し、近世以来の境内構成を受け継ぐ本山寺院が、近代化を受容し、重層化した過程を知る上で歴史的に重要である。上質な意匠と格式を備えた近代随一の大規模寺院殿舎群として高い価値を有している。