年未詳六月十四日付 前田利常書状(内藤清兵衛・今枝与右衛門宛)
ねんみしょうろくがつじゅうよっかづけ まえだとしつねしょじょう ないとうせいべえ いまえだよえもんあて
概要
加賀前田家3代当主・前田利常(1594~1658)が、領内の越中国射水郡高岡町から「いなだ(ブリ)」2樽を贈られたことに対する礼状。
宛所二人は小松町奉行。それぞれの在任時期は、内藤(1640~42年9月)、今枝(1640~1711年)である(『加越能近世史研究必携』p67)。 その重複時期は、1640(寛永17)年から1642(同19)年9月までとなり、この史料の年代が推定される。
利常は1639年に小松に隠居したので、高岡町人は小松へ献上したのであろう。高岡廃城(1615年)後、米・麻布・魚鳥・荷物・塩などあらゆる物資を一旦高岡に集めるよう特権を与えた利常に対し、高岡町人は強い報恩感謝の念をもっていたことがうかがえる。
類例として、年未詳(1644~52年頃)2月21日付前田利常書状(伊藤内膳・長屋七郎右衛門宛。二人は高岡町奉行)は高岡町中より祝儀として「銀子1枚」を献上し、年未詳8月1日付前田利常書状(同前宛)では「目録」を献上(共に当館蔵)しており、高岡町人は何度も利常へ進物を贈呈していたことがわかる。
本史料の釈文は「越中国射水郡伏木浦旧記書類/射水郡気多神社書類 伏木神社神職尾崎常定所蔵之分写」(山崎明代編『越中古文書(越中資料集成9)』桂書房)の359頁九号文書にあり、旧蔵者が伺える。
【釈文】
従高岡町中
両樽・いなた挙之
喜覚候由、可申聞候也、
六月十四日 利常(花押)
内藤清兵衛殿
今枝与右衛門殿