ロシアダンス
概要
一九二〇年代から三〇年代にかけて、アメリカの社会と人間の現実を鋭くえぐった社会派の画家、たとえばニューヨークを中心に活躍した清水などの画家たちを総称して、「アメリカン・シーンの画家」と呼ぶ。
この清水がニューヨークのふ頭を離れて、客船でフランスへ向かったのは、一九二四年(大正十三年)五月二十一日のことであって、パリでは家賃の安いペンションに身を移した.
「ロシア・ダンス」において踊る女性は、ヨーロッパを巡業して回る旅芸人の一人であろうか。この時期、パリで初めてロシアの舞踏が紹介されたと記録されているが、清水は、その東洋と西洋が入り混じった異国情緒あふれる民衆芸術に、並々ならぬ関心を抱いていたようである。(中谷伸生)