倉敷段通
くらしきだんつう
概要
1931年、矢吹貫一は藺草を使い平和織りを創作しました。当初販売を担当した日本莚業株式会社と共同でを改良を重ね翌年完成し、名称を金波織と改めました。同年、来倉した柳宗悦は強く感心を示し図案を芹沢_介に依頼しました。名称を柳の提案により倉敷緞通と改めました。 3・4本の藺草を和紙のテープで巻いたものを芯にして、表側に麻レーヨンの混紡糸をリング状にして織り出してあるので、適度の弾力と心地よい足触りです。耐久性もあって日本の気候風土に合い、芹沢の図案による製品は落ち着いた色調で無地と直線を活かした簡明な縞模様で、和洋いずれの部屋にも調和します。 好評で生産に追われた日本莚業は時代の変化で1986年に生産を中止しましたが、瀧山雄一氏が1992年に復活し生産しています。大きさはテーブルセンターから3畳敷までの9種類で瀧山氏創案の柄もあります。
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学校法人加計学園 倉敷芸術科学大学