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青森県
国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))青森県櫛引遺跡青森県八戸市大字根城字東構35-1
青森県八戸市の西郊、馬淵川右岸の段丘上に立地する開地遺跡から出土した、縄文時代草創期の出土品である。本件はこのうち、第1号竪穴住居跡および第1号土坑からまとまって出土した一括、全83点である。
第1号土坑の坑底付近から出土した特徴的な深鉢形土器は、口縁部の山形状小突起や刻み、2種類の縄文原体を用いることで羽状構成をなす文様、三段に屈曲する形状、緩く丸みを帯びた底部など、その特徴が明瞭に観察できる。細かな破片が多数接合されているが、遺存状態は良好で約九割が遺存している。また、共伴する土器片の中には、口縁部の上面観が隅丸方形を示す資料が含まれ、この時期の特徴をよく表している。
石器は、削器4点のほか、石鏃、石核が各1点で構成されている。
以上、縄文時代草創期においては全形を窺い知ることができる土器は稀少であり、本件は完形に近い遺存状態の個体を含む遺構出土の一括として、その学術的価値は高い。
国指定文化財(重要文化財)尻屋埼灯台青森県下北郡東通村大字尻屋字尻屋崎1番1
青森県の下北半島の北東端、尻屋崎に位置する。北は津軽海峡、東は太平洋を望む絶景の地に建つ洋式灯台。太平洋側に建設された初期の煉瓦造灯台の一つで、東北地方初の洋式灯台である。明治9年の建設で、設計指導は、我が国の数多くの洋式灯台を設計した英国人技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンである。ブラントンが日本で最後に手がけた灯台の一つで、同人による灯台の集大成ということができる。壁を内外で二重にした二重円筒形式で、高さ32.8mと現役の煉瓦造の灯台では日本一の高さを誇る。また、霧信号が設置された最初の灯台であることも希少である。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧増川営林署庁舎(展示館しょうわ)青森県青森市浪岡大字女鹿沢字野尻14-134
元は津軽海峡に東面した営林署の洋風庁舎。平屋建、切妻造金属板葺、正面北寄りに玄関棟を張出して切妻造ポーチを備え、内部は大きな事務室。外壁は下見板張で縦長窓を並べ、妻壁は漆喰仕上に半円アーチ形窓を開けてスクラッチタイルで縁取り、意匠に凝る。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)三戸城跡青森県三戸郡三戸町
三戸城跡は三戸町の中心部、標高(ひょうこう)約131mの独立(どくりつ)河岸(かがん)段丘上(だんきゅうじょう)に立地する、室町時代から江戸時代のはじめにかけての奥州(おうしゅう)南部領(なんぶりょう)の本拠と伝えられる城跡である。
この城を描いた複数の絵図(えず)が残り、中でも安政(あんせい)4年(1857)成立の「三戸郡(さんのへぐん)三戸(さんのへ)御古城御縄張之図(おんこじょうおんなわばりのず)」は当時の状況を描いた精密(せいみつ)な測量図(そくりょうず)であり、曲(くる)輪(わ)の配置や門の位置、城(じょう)道(どう)等を現地(げんち)で照合(しょうごう)することができる。平成16年度から令和元年度にかけて三戸町教育委員会により実施された発掘調査により、絵図に描かれた施設の位置や時期の検証(けんしょう)等が行われ、その結果、絵図は廃(はい)城(じょう)時の三戸城の状況をよく表していることが明らかになった。
また、石垣の石材の加工法から石垣が築かれた時期が複数あること、江戸時代初頭と推定される造成土下(ぞうせいどか)で、複数の整地層(せいちそう)が認められ、14・15世紀代の国産(こくさん)陶器(とうき)が出土することから、この城は少なくとも15世紀以前から城館(じょうかん)としての利用が始まり、江戸時代初頭に至るまで複数回の改修が行われたと考えられる。
三戸城跡は盛岡(もりおか)城(じょう)築城(ちくじょう)以前(いぜん)の南部氏の本城(ほんじょう)の姿が詳細に復元できるとともに、戦国(せんごく)末期(まっき)から近世(きんせい)初頭(しょとう)における北東(きたとう)北(ほく)の築(ちく)城(じょう)技術(ぎじゅつ)を知る上で重要である。