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福島県・耶麻郡磐梯町

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)慧日寺跡耶麻郡磐梯町

慧日寺跡

 慧日寺は、法相宗の徳一が創建したもので、民間信仰、ことに山岳信仰と密接な関係をもち、磐梯山を奥院として成立したものと考えられる。その後、会津一円を支配し、僧兵集団を保持し、封建領主としての権力をそなえた。平安末期から鎌倉時代にかけてのころ、密教化-[[修験]しゅげん]化の方向をたどり、鎌倉末期から室町時代にかけて磐梯修験と強力な結びつきをもったと思われる。16世紀後半、伊達・葦名の合戦の際、兵火にかかり若干の堂宇を残すのみとなった。
 旧寺域は、ほぼ一町で、塔跡等には礎石が遺存し、金堂跡には磐梯神社が建っているほか、戒壇跡と称されている墳丘状の遺跡や徳一廟も残っている。

<昭和61年追加指定>
 平安時代初期、徳一の草創するところという〓(*1)日寺は、磐梯山信仰と密接な関係をもちながら、次第に密教化し、磐梯修験の霊場として名を馳せるようになったと考えられるが、最近磐梯高原一帯に観光開発の波が押し寄せて来出したほか、昭和59年度より史跡指定地の四周で圃場整備事業が行われ出したため、磐梯町教育委員会は、遺跡踏査の密度を高める一方、必要箇所の発掘調査に意を用いている。今回その成果の一部を反映させるため、
(1)史跡〓(*1)日寺跡の東北約1・7キロメートル、古城峰南麓で、礎石・石積みが遺存している地
(2)通称戒壇跡の南で、礎石建物跡・掘立柱建物跡が検出された地
(3)指定地の中心部の北・南西・北東部で遺跡が広がっていると考えられる地
の3か所を追加指定する。
 永正の『恵日寺絵図』より推せば、(1)は観音寺跡、(2)は常行寺跡または花輪寺跡ではないかと思われ、(3)を含む寺院中心部の既指定地と一体として保存を図るものである。