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沖泊

おきどまり

主情報

記載物件名
沖泊

解説

 沖泊は、銀山柵内から西方約9㎞に位置する狭隘な入り江を利用した良港である。  戦国大名毛利氏が石見銀山を支配した16世紀後半の約40年間、精錬した銀を積み出した拠点であるとともに、石見銀山への物資の補給地や毛利水軍の基地としても機能した港である。  湾の開口部に位置する島には、毛利氏の支配以前にこの地域の領主が軍事拠点として築いた城跡があり、16世紀には湾の入り口を守備する機能を果たした。この城は、1540年の記録に見え、島の頂部には城の防御施設の単位である平坦地が残っている。また、湾の南岸に当たる丘陵の先端部には1570年に毛利氏が築いた城跡があり、現在でも城の防御施設の単位である平坦地が良港に残されている。16世紀の後半には、この城は沖泊の港のみならず温泉津港をも守備する機能を果たした。  湾は奥行き480m、幅は最奥部の浜辺において40mと深く湾入している。入り江の両岸には、波食台の軟質な岩盤を削り出して造った船舶の係留装置が残る。  湾の最奥部には銀の積み出しと物資の搬入が行われた浜辺があり、その奥の狭い谷間に沿って集落が展開する。集落は16世紀まで遡る方形の宅地の地割を踏襲して、木造の住宅・蔵などの建築群が建ち並んでいる。また、北側の尾根の斜面には集落の火除けの神として信仰されている小祠があり、ここには1589年に製作された木神像が現存する。現在でも、毎年7月14日に集落の住民による祭祀が執り行われている。さらに、湾の開口部近くには、航海安全を祈るために16世紀前半に建立された神社がある。この神社においても、毎年4月3日に春祭りが行われている。沖泊に碇泊する船舶への給水施設である井戸や集落内を縦貫して石見銀山街道へと繋がる街路のほか、集落内には排水のための小規模な水路が巡らされている。井戸は現在でも集落の飲み水や水産物の加工用の水として用いられており、毎年7月には集落の住民により水神祭が執り行われている。  このように、沖泊には、鞆ヶ浦と同様に16世紀における港湾と集落の土地利用の形態が良好に残されている。