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山宮浅間神社

やまみやせんげんじんじゃ

主情報

記載物件名
山宮浅間神社

解説

詳細解説

富士山本宮浅間大社の社伝によれば、山宮浅間神社は富士山本宮浅間大社の前身であるとされている。 山宮浅間神社では、本殿に相当する建築が参道の終端付近に存在せず、富士山の方向に展望の軸を合わせた位置に祭壇又は石列の区画から成る遥拝所を設けるなど、独特の境内の地割が見られる。このような地割は、富士山に対する遥拝を主軸とする古式の祭祀の在り方を示しているものと推定されている。また、遥拝所の位置は、約2,000年前の溶岩流の末端部に当たり、植生の回復が遅かったものと考えられる。そこは、社叢に覆われた参道より約10mも高く溶岩流が露出する地形となっており、富士山に対する眺望も良好であったことから、遥拝を祭祀の主軸とする山宮浅間神社の適地とみなされたものと考えられている。 社伝によると、山宮浅間神社が現在の地に設けられたのは古く日本神話の時代であったとするが、その正確な年代は不詳である。境内における発掘調査の成果によると、神事に使用されたものと推定される12~15世紀の土器が複数片出土しているほか、歴史資料によると1551年には神社の存在したことが確認できる。 また、1577年の『冨士大宮御神事帳』にも山宮浅間神社に関する記述が見られ、遅くとも16世紀後半までには、富士山本宮浅間大社と山宮浅間神社との間において、「山宮御神幸」と呼ぶ浅間大神の渡御に係る儀式が始められていたものと考えられている。この儀式は、毎年4月及び11月に、浅間大神の宿った鉾を持つ富士山本宮浅間大社の神職らが、富士山本宮浅間大社と山宮浅間神社との間を往復する神 事であった。富士山本宮浅間大社及び山宮浅間神社の境内には、そのような神事に際して浅間大神を休めるために鉾を立てた「鉾立石」と呼ばれる基礎の石が計3基残されている。また、神職らの着席位置を示す遥拝所の石列、境内唯一の建築物である籠屋も、かつての神事において重要な役割を果たした施設である。この神事は1874年まで継続的に行われていたが、現在では行われていない。 なお、「山宮御神幸」に使用された行路を「御神幸道」と呼び、その沿道には1691年に距離を表示するための一群の石碑が建立された。現在、「御神幸道」の全体の正確な行路については明確でないが、出発点である富士山本宮浅間大社境内に残された御神幸道の首標以外に、沿道に当たる4箇所に石碑が残されている。これらの4基の石碑については、遺存状況が断片的であることから、資産の範囲ではなく緩衝地帯の範囲に含めている。