世界遺産と無形文化遺産
冨士御室浅間神社
ふじおむろせんげんじんじゃ
主情報
- 記載物件名
- 冨士御室浅間神社
解説
詳細解説
富士山の北麓に位置する冨士御室浅間神社は、本来の神社境内が存在する本宮(もとみや)及び移築後の社殿が現存する里宮(さとみや)の2箇所から成る。修験及び登拝等の富士山信仰の拠点としての意義を持つ吉田口登山道二合目の本宮の境内、及び後に本宮から河口湖畔の産土神の居処へと本殿が移築された現在の里宮の境内は、ともに冨士御室浅間神社の境内として一体の価値を構成している。 『甲斐国志』によると、本宮は9世紀初頭に吉田口登山道の二合目に勧請されたとされている。 もともと富士山における修験道の拠点は西南麓に位置する村山浅間神社(興法寺)であったが、13~14世紀になると、北麓の二合目に当たる御室の地においても、山内の修験道の拠点として役行者堂が建立された。その後、御室の地には浅間神社及び寺院が建立され、吉田口登山道沿いにおける富士山信仰の重要な拠点として位置付けられるようになった。 『甲斐国志』によると、社殿の造営は1508年にまで遡る。二合目とは言え、富士山の山中という厳しい気候の条件下に所在したため、冨士御室浅間神社(本宮)の社殿はたびたび破損した。社伝によると、12世紀末期から16世紀後半にかけて複数回にわたり修築が行われ、16世紀後半には、この地域の封建領主であった武田信玄(1521~1573)により大修理が行われたとされている。 現在、里宮に存在する冨士御室浅間神社の本殿は、1612年に本宮の境内において再建されたものである。再建後の1698年、1867年にも修復が行われたが、二合目の本宮の地は冬季の参拝及び維持に困難を極めたことから、厳しい自然環境から恒久的に本殿を保護するため、1973~74年に河口湖畔の集落にほど近い現在の里宮の地に移築された。移築後の本宮本殿は、入母屋造一間社で、向背の正面 に軒唐破風が付き、正面及び側面に縁を巡らして後端に脇障子が立つ。また、その周囲には、中門・翼廊・瑞垣が巡る。 里宮の境内はスギなどの樹木に覆われ、神聖で荘厳な空間を形成している。鳥居を起点として本殿に向かって参道が延び、随神門を抜けた区域には末社が建ち、さらにその奥に本殿及び付属施設である拝殿・幣殿が建つ。本殿は、後に拝殿・幣殿に連続して一体的に建造された覆屋により保護されている。