世界遺産と無形文化遺産
御師住宅(旧外川家住宅)
主情報
- 記載物件名
- 御師住宅(旧外川家住宅)
解説
詳細解説
資産には、旧外川家住宅及び小佐野家住宅の2つの御師住宅が含まれる。しかし、後者が1861年に再建された富士講最盛期における平面構成を現在に伝える事例であるの に対し、前者は1768年に建造され、遺存状況の良好な最古の御師住宅の貴重な事例である。したがって、両者はともに御師住宅の建造物及びその敷地の意匠・構造を表す代表的・典型的な事例である。 御師は、夏季に富士講信者が登拝を行うのに当たり、宿泊・食事の準備をはじめ一切の世話を行うとともに、日常は富士山信仰の布教活動及び祈祷を行うことを生業とした。富士山の御師を代表する吉田の御師は、吉田口登山道の起点となる北口本宮冨士浅間神社の門前の地域において、南北方向の道路の左右に御師住宅が建ち並ぶ大規模な集落を形成した。 御師の屋敷は間口が狭く、奥に長い短冊状の地割を持つ。表通りから延びる導入路の途上には敷地内を横切る水路があり、その奥に住宅兼宿坊の機能を持つ主屋が建つ。 旧外川家住宅では、まず、先達に導かれて到着した富士講信者たちは、導入路を横切る水路において手足を清めた。その後に主屋へ到着すると、御師の導きにより、先達は式台玄関から、その他の富士講信者たちは庭に面する縁側から、それぞれ主屋の内部へと入った。式台玄関から奥へと客室が続き、主屋の奥に増築された離れ座敷には神殿が設けられている。離れ座敷を増築する以前には、主屋の最奥部 に神殿の設けられた部屋が存在した。御師及び富士講信者たちは神殿の前に集まって拝礼の儀を行い、登拝の準備を行った。 1768年に建てられた旧外川家住宅は、現存する御師住宅の中でも最古の事例である。富士講の隆盛により、訪れる富士講信者の数が爆発的に増加したことに対応するため、旧外川家住宅では御縁年に当たる1860年の頃に離れ座敷が増築され、神殿が設けられた。