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人穴富士講遺跡

ひとあなふじこういせき

主情報

記載物件名
人穴富士講遺跡

解説

詳細解説

富士山の西麓に位置する人穴富士講遺跡は、長谷川角行が苦行の末に入滅したとされる風穴の「人穴」を中心として、その周辺に富士講信者が造立した約230基もの碑塔群が残されている遺跡である。 『吾妻鏡』には、鎌倉幕府2代将軍源頼家(1182~1204)の命令により、洞内を探検した武士が霊的な体験をしたことが記されており、早くも13世紀には人穴が「浅間大神の御在所」として神聖視されていたことが知られる。その後、この記事は浅間大神の霊験譚として説話化され、人穴の存在が広く知られるようになった。 富士講関連の古文書によれば、人穴は、16~17世紀に長谷川角行が洞内で角材の木口の上に1,000日の間立ち続けるなどの修行を行い、浅間大神の啓示を得た場所であるとされている。また、角行が人穴を「浄土(浄土門)」であると述べたとの伝承に基づき、人穴を参詣し、修行を行う熱心な富士講信者も現れた。人穴の内部には、角行を初代として、3代目及び4代目の弟子に当たる人物が奉納した1664年及 び1673年の紀年銘を持つ石仏が残されている。富士講が隆盛期を迎えると、信者は角行、食行身禄、先達などを供養・顕彰したり、自らの登拝回数を記念したりするために、多くの石造碑塔を建立した。これらの一群の碑塔は富士講ごとにまとまった位置に建立されており、各講の勢威を示す意図がうかがえる。 現在、人穴への参詣者は見られるものの、富士講の組織及び活動は衰退してしまったため、1964年以降における新たな碑塔の建立は行われていない。