世界遺産と無形文化遺産
旧集成館
きゅうしゅうせいかん
主情報
- 記載物件名
- 旧集成館
解説
詳細解説
幕末,欧米列強に対抗するため,薩摩藩主・島津斉彬は集成館事業を始めた。
反射炉への挑戦と試行錯誤を物語る残存遺構が保存されている。
島津斉彬の没後,薩英戦争により集成館は焼失したものの,その後,島津久光・忠義父子により集成館事業の本格的な再構築がなされた(第二期集成館事業)。旧集成館機械工場は,船舶に装備する洋式の諸機械に関する技術を用いた幕府の長崎製鉄所から,その特徴・技術を引き継いだ貴重な建造物である。
(注)長崎製鉄所は幕府が設置し,後に長崎造船所となったが,当時の建造物や構造物は失われており,残っていない。
その他,イギリス人技師を招いた証左である鹿児島紡績所技師館の建物,蒸気機関を用いた日本最初の西洋式紡績工場である鹿児島紡績所の地下遺構が確認された遺跡などが,保存されている。