世界遺産と無形文化遺産
平等院
びょうどういん
主情報
- 記載物件名
- 平等院
解説
平安建都に伴い京都郊外の景勝の地宇治には貴族の別荘が造られるようになった。平等院も貴族の別荘を起源とし、1052年に寺院に改めたものである。 1053年に、阿弥陀堂、すなわち現在の鳳凰堂が造られ、12世紀初めまでに、阿字池を中心とする浄土庭園と諸伽藍が造営されたが、1331年に戦火により鳳凰堂を除く伽藍は焼失した。 その後、15世紀後半に伽藍再興と鳳凰堂の修理が行われ、17世紀後半にも修理が行われた。 近代には、1902~1906年に鳳凰堂の半解体修理が行われ、さらに1950~1957年に実施された解体修理では創建当初の姿に復原されるとともに、創建時より14回におよぶ修理が施されていることが判明した。 鳳凰堂は棟飾りに鳳凰をおき、内壁の飛天や二重の天蓋、天井装飾、扉絵で飾った中堂を中心とし、左右に配された翼廊とともに軽快かつ優美な建築となっている。さらに、背面には尾廊を設けている。 鳳凰堂は前面の庭園とともに、仏教の教典に説かれた西方極楽浄土を具現したものとされており、この浄土形式の庭園と阿弥陀堂は奥州平泉の毛越寺、無量光院等の発掘で明らかになったように各地への波及がみられる。 平等院では国宝の鳳凰堂の他、庭園が名勝に、鎌倉時代に再建された観音堂が重要文化財建造物に指定されている。