世界遺産と無形文化遺産
平村相倉地区
主情報
- 記載物件名
- 平村相倉地区
解説
詳細解説
相倉集落は戸数27戸、人口90人(1994年8月現在)である。明治20年(1887)の記録によると、当時、相倉は47戸であり、平村の25の集落の中では4番目に大きな集落であった。 集落は庄川の左岸の川面よりやや高く離れた河岸段丘面にある。周囲を山林で囲まれた標高400m前後の段丘面は、北東から南西へ約500m、南東から北西へ200~300mの細長い土地で、この平坦地に屋敷地と耕作地があり、さらに北西および南東の傾斜地の一部も耕作地に取り込まれている。保存地区はこの屋敷地と耕作地を中心とする部分であるが、集落背後のブナ、トチ、ミズナラなどの大木が生い茂り、雪持林として維持されている傾斜地の一部も含まれている。 集落の骨格は、ほぼ直線状に北東から南西に向かって緩やかに上る旧主要道(城端往来)と、この道から地形に応じて曲線を描きながら左右に伸びている村道によって構成されている。これらの道は江戸時代以来のものであり、幅員は2~3mである。現在ではこの他に、自動車のための幅員4mの道が1958年に集落の中央を貫く形でつくられていて、近世の村落景観が少なからず失われている。旧主要道は集落の南半部で西方向に曲がり、さらにその先はつづら折れの山道となっている。この山道は急峻な山間の峠を越えて平野部に至るもので、1887年に新たに開設され、以来、近年まで地域の主要な道として利用されてきた。 屋敷地は、石垣を築いて平坦に造成されているが、周囲に塀や生け垣を設けることはなく、開放されている。多くの敷地は、主屋が建てられるだけの広さで、一部を除いて広い前庭を持つ家はない。附属屋は土蔵や板倉、別棟の便所などであるが、これらは全ての家に附属しているものではない。なお、板倉と土蔵は火災を考慮して、居住部分からやや離れた場所に建てられている。 集落の守り神である地主神社は、集落の中央部、北西傾斜地の麓の高い位置にあり、年代を経た杉などの境内林に囲まれている。また、信仰の中心である浄土真宗の相念寺は地主神社の南西に本堂を南東に向けて建ち、道場はこれと旧主要道を挟んで相対する小高い位置で北西に面している。 耕作地のうち、屋敷地の周囲に点在する水田は、小規模で不整形なものであるが、集落の北東にはややまとまった水田が見られる。これらの水田も屋敷地と同じく必要に応じて石垣が積まれている。また、北西の傾斜地には石垣を高く築いて水田がつくられているが、この部分はかつて桑畑であったところである。 相倉集落は、村内でも最も養蚕の盛んな集落であったが、主食の自給化対策と養蚕の衰退が相まった1950年頃に桑畑の水田化が行われた。その他の畑は、傾斜地を開墾してつくられ、主に野菜や豆類が栽培されている。水田への水は、集落の西方の山から流れ出る谷川の水を引き込み、北西の山際から湧き出た水と合わせ、いくつかの水路に分けて供給している。 相倉集落の伝統的建造物群の主体をなす建築物は、「合掌造り」の家屋である。これらの合掌造り家屋に加えて、合掌造りを木造2階建に改造した家屋、非合掌造りの木造家屋、これらの附属建物である便所、土蔵、板倉および宗教建築などの建築物67棟と、石造工作物の5件によって伝統的建造物群が構成されている。 保存地区内に現存する合掌造り家屋は20棟である。これらの合掌造り家屋の多くは江戸時代末期から明治時代(19世紀前期~20世紀初期)に建てられたものであるが、最も古いものは17世紀に遡ると推察される。また、新しいものは20世紀前期のものが3棟あり、この時代まで合掌造り家屋がつくられていたことがわかる。 平面は四間取りを基本としているが、規模の大きいものでは六間取りとなり、また、梁間の小さい家屋には広間型三間取りのものも見られる。多くは妻側に半間ほどの下屋をつくり、その中央寄りに出入口を設けている。現在は下屋の屋根を鉄板葺きとしている家屋が多いが、本来は茅葺きであり、大屋根との取り合いを葺き回すので、一見、入母屋風屋根となり、平側に出入口を設ける白川郷の合掌造り家屋とは異なった外観を呈している。 合掌造りを改造した家屋は5棟である。これらはウスバリより上の小屋を取り除き、新たに木造の2階を増築し、束立構造、切妻造り、桟瓦または鉄板葺きとしたもので、現存の建物はいずれも20世紀中期に改造されたものである。 非合掌造りの木造家屋は7棟である。柱梁、束立構造による2階建、桟瓦または鉄板茸きの建物で、規模と外観は改造家屋に類似している。いずれも大正時代から昭和30年代(20世紀前~中期)までの間に建てられたものであるが、このうちの昭和時代初期までに建てられた3棟は、当初は茅葺きであった。 改造家屋と非合掌造りの木造家屋の存在は、相倉集落の家屋の形式の変化を具体的に示すものであり、また、現在では集落の景観に調和しているので、伝統的建造物群を構成するものとしての価値が認められている。 附属建物は、便所8棟、板倉7棟、土蔵12棟、その他3棟である。便所は家屋の入り口脇に別棟として設けられているもので、木造平屋建、切妻造りで、いずれも当初は叉首構造の茅葺きであったが、現在は桟瓦葺きまたは鉄板葺きになっている。なお、このうち2棟は板倉と兼用となっている。板倉は木造2階建、切妻造りで、多くは当初、茅葺きであったが、現在は桟瓦または鉄板葺きとなっている。土蔵は、土蔵造り2階建、切妻造り、置き屋根形式で、多くは当初、栗板の木羽葺きであったが、現在は桟瓦または鉄板葺きとなっている。 宗教建築は5棟である。相念寺本堂は入母屋造り、茅葺き、道場は正面入母屋造り、背面切妻造り、茅葺き、地主神社本殿は一間社流造、こけら茸き、拝殿は入母屋造り、銅板葺き(当初は茅葺き)となっている。また、工作物は地主神社の石鳥居や石灯篭などの石造物5件である。 環境物件は8件である。その内容は旧火葬場、地主神社の境内社叢、旧主要道、石垣、水路、雪持林などである。