世界遺産と無形文化遺産
厳島神社
いつくしまじんじゃ
主情報
- 記載物件名
- 厳島神社
解説
詳細解説
本社は厳島神社の中心建物であり、海上に展開する社殿群の中核をなす。祓殿の左右から出て、曲折しながら東西にのびる廻廊に沿って附属舎が配置されている。 本社の各建物は海中の大鳥居と軸線を揃え、前方に突出する縦長の祓殿、その背後に接して横長の拝殿、その奥に同じく横長の本殿を並行して配する。拝殿と本殿の間は幣殿でつなぎ、H字型の棟をもつ一棟の建物とし、祓殿の屋根も拝殿に接続させて全体が一連の屋根の下に覆われる。 拝殿、祓殿は1223年(貞応2) の火災後、1241年(仁治2) の造営時に再建されたもの、本殿は1569年(永禄12)におきた流血事件で汚されたとして、 1571年(元亀2) に毛利輝元により再建されたものである。 後の時代の再建にもかかわらず、本社の建造物群は、平安時代、平清盛によって造営された社殿の雰囲気をよく伝えていると考えられる。すなわち、各建物は伸び伸びと広がる軒の線と柔らかな屋根面、床、長押、頭貫などの水平線が強調されて、全体に落ちついた優美な印象を与えるが、ひとつひとつの部材を子細に観察すると、太くたくましい柱や組物、力強い架構に支えられていることがわかる。奈良時代以来の伝統を受け、構造体として堅固に組み上げられた建築本体と、建築表現としての優美さが混在するところに平安時代建築様式の特徴があらわれている。そのほか、祓殿正面中央の軒を一段切り上げるのは、平安時代に好んで使用された、主要な正面をあらわす手法であり、細部では、架構の方式、蟇股の形式、破風の曲線などに平安時代の特徴を残している。 祓殿前面には平舞台が広がり、東西の廻廊からも板敷きが伸びて平舞台に取り付く。平舞台は前面中央部を岬状に突出させ、その付け根近くの左右、平舞台前面に門客神社、さらにその外側左右に楽房を配する。 祓殿前の平舞台上には四方に高欄をまわした漆塗の高舞台が設けられる。この舞台で演じられる舞楽も遠く平安時代に都からこの地にもたらされたもので、代々の厳島神社の神官が一千年以上も守り伝えてきた。摂社客神社は本社の建造物群の東北方にあり、軸線を東西にとって西向きに建つ。社殿群の構成は縦長平面の祓殿を前面に置き、その奥に横長平面の本殿、拝殿を並列させ、本殿、拝殿を幣殿でつなぎ、社殿全体を一連の屋根で覆うことは本社と同様であるが、社殿全体の規模は本社本殿が桁行9間であるのに対し、客神社では桁行7間と、ひとまわり小さい。 また、客神社では、廻廊が拝殿と祓殿の取り合い部分を通路のようにして通り抜けており、祓殿前面は直接海面に面していて平舞台にあたる板敷きがない。 客神社の各建物は、いずれも1223年(貞応2) の火災後、1241年(仁治2) の造営時に再建されたものとみとめられるが、一部に中世の修理と見られる改造がある。様式的な特徴は本社と等しい。