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吉弘楽

よしひろがく

主情報

  • 大分県
  • 指定年月日:19961220
    保護団体名:吉弘楽保存会
    ※本件は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。
  • 重要無形民俗文化財

解説

 吉弘楽が伝承される武蔵町は、大分県国東半島の東南部にあたり、吉広地区は同町内を流れる武蔵川支流の吉広川をさかのぼった地域である。
 吉弘楽は、踊り手自身が太鼓を打ちたたきながら踊る太鼓踊の一つで、毎年旧暦六月十三日に、虫送りの祈願として吉広地区楽庭の楽庭八幡神社境内で行われている。演じる人びと全体の基本的な人数は四九人で、これを三組に分けるが、二三人の組を二組と、三人の組を一組に構成する。二三人の組は、それぞれ本頭(ほんがしら)と末頭(すえど)と呼ばれ、一組の内訳は、指導者格の音頭一人、鉦二人、笛三人、さらに演目の中で念仏を唱える「念仏申(ねんぶつもうし)」と呼ばれる者二人及び最も人数の多い端楽(はしがく)一五人である。三人の組は中頭(なかど)と呼ばれ、音頭一人と鉦二人で構成される。
 扮装については、音頭と端楽では音頭が烏帽子あるいは兜をかぶり、端楽が陣笠をかぶって区別されるが、全員が絣の着物に襷を掛け腰蓑をつけ、紺地の胸当てには旧領主の吉弘氏の定紋とされる左三つ巴の紋を白く染めぬき、胸に太鼓をつけ、背中には先端に御幣をつけ、同じ紋を染め抜いた旗をつけている。なお本頭の組は陣笠や旗の色を黒とし、末頭の組は赤で区別し、中頭の音頭は白い旗を背負う。念仏申や三組の鉦及び笛の衣裳は、裃に袴をつけ、さらに鉦は脚絆を巻いている。
 吉弘楽の「ツグリ」(順序、次第あるいは演目)は「神納(しんのう)」「ガタガタ」「ツクテンツク」「道楽庭入」「四方固め」「テンゴーゲー」など一四あり、この一四ツグリを通して演じることを一庭と呼び一時間余りかかる。近年は午前中と午後に一庭ずつ演じているが、大正時代には四庭半を演じたとされる。また、これらの演目の中に「念仏」と呼ばれるものがあり、これは「オーアーミード―、アンナー アーミード―」など、念仏とされる詞章を唱えるもので、鎌倉時代に盛んに行われた躍念仏との関連をうかがわせ、吉弘楽の特色の一つとなっている。
 吉弘楽は、当日まず神社拝殿に全員が組ごとに整列し「神納」を演じた後に、列を改めて組ごとに境内に入場し、笛は別に正面にそろい、これに向かい合って右に本頭、中頭は中央、左に末頭の各組が位置につく。各演目の間に短い休みを入れて区切り順次演じていくが、演じている間、音頭や端楽などは口の中でショウガ(唱歌)を唱えながら、向かい合ったり、飛び違ったりしながら太鼓を打つ。このショウガは各組の各役とも、ほとんど同じであるが、それに合わせて行う動作は各組ごとに違っており、隊形や所作が複雑に展開する。
 この吉弘楽の由来として、地域では大友氏の分家である吉弘氏が、南北朝のころに当地の領主となって戦勝や五穀豊穣の祈願のために始めたものが、江戸時代初期に吉弘氏が衰えるとともに途絶え、それを元禄期に虫害除けとして再興して今に至っているとする。現在もドロ(太鼓)の胴の内部に「元禄」以下の墨書を見ることができ、江戸時代からの伝承をうかがわせる。また楽が終わると、それぞれの旗の先についた御幣を虫除け守護の札として各戸ごとに持ち帰り水田に立てたという。
 大分県や福岡県さらに山口県などでは楽あるいは楽打ちと呼ばれる太鼓踊が伝承され、地域ごとに棒術や水難除けと組み合わさるなど多様な姿を示しているが、吉弘楽はそれらの中で、念仏踊との関連をうかがわせることや複雑巧妙に仕組まれた構成など、地域的特色をもち、また芸能の変遷の過程を示すものとしてとくに重要なものである。