世界遺産と無形文化遺産
大の阪
だいのさか
主情報
- 新潟県
- 指定年月日:19981216
保護団体名:大の阪の会
※本件は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。 - 重要無形民俗文化財
解説
大の阪は新潟県北魚沼郡堀之内町に伝わる盆踊で、毎年八月十四日から十六日の三日間、八幡宮境内に櫓を建て、その周りで踊られる。
その起源を伝える明確な資料はないが、堀之内町が三国街道の宿として賑わい、また小千谷や十日町とともに越後縮【ちぢみ】の集散地として栄えていた近世、商用で上方との間を盛んに往復していた縮商人によってもたらされたと伝えられている。
近世には盆の十三日から十六日まで、各家々に提灯を掲げるなか、本陣を中心に町を一晩中踊り流し、裕福な家では酒食などを供して踊りを盛り上げたという。その後、幕末の戊辰戦争の混乱や明治初年の禁令の影響などにより、明治末から大正期にかけて一時衰微するが、これを惜しむ人びとの努力により昭和初年に復興し、日中戦争から第二次世界大戦終結まで再び中絶するも、戦後復活し現在に至っている。
会場となる八幡宮境内には、高さ六メートルほどの踊り櫓を丸木で組み、その上に太鼓を据え、四隅に提灯を吊るし、櫓の中央には盆踊歌の詞章を側面に記した二メートルほどの長さの六角灯籠【ろつかくどうろう】を吊り下げる。
盆踊歌は、櫓上の太鼓の拍子(七拍)に合わせてゆったりと歌われ、五・五・七・五の歌詞が一五番残っている。現在は歌の合間に笛の間奏が入るが、これは昭和初年に復興した際に付け加わったものという。「大の阪」という名称は、歌の冒頭の「大の阪、七曲がり」という詞章に由来するが、一五番すべてに「南無西方【なむさいほう】」という文句が入り、また御詠歌調のゆっくりとした曲調であることから、別に「念仏踊」とも呼び、現在も祖先供養のための踊りであることが明確に意識されている。音頭取りは二組に分かれ、双方が詞章を交互に歌い合う掛け合い式で、一番を二分以上かけてゆったりと歌う。
踊り子の扮装は、浴衣に草履履きが基本であるが、特に厳格な決まりはなく自由な服装での参加が認められている。踊りの足の運びや手振りは、太鼓の七拍に合わせて踊る素朴なもので、昔はハスの葉を頭に乗せて踊ったといわれるほど緩やかな動きで、華やかさはないものの古風を感じさせて優美である。
以上のように大の阪は、伝統的な祖先供養の盆踊の要素を伝えるものとして貴重であり、また地域的特色も顕著である。