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近江湖南のサンヤレ踊り

おうみこなんのさんやれおどり

主情報

  • 滋賀県
  • 指定年月日:20200316
    保護団体名:草津のサンヤレ踊り保存協議会、小杖祭り保存会
    5月3日(草津市),5日(栗東市)
    ※本件は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。
  • 重要無形民俗文化財

解説

 サンヤレ踊りは、独特の囃子詞(はやしことば)を伴う踊りであり、美しく装った子供たちが、太鼓や鞨鼓(かっこ)、ササラなどの楽器で単純なリズムを奏しながら簡単な所作で踊り、笹や榊、扇子などの採物を持った者がこれを取り囲んで「サンヤレ サンヤレ」と囃し歌う。踊りの一行は、行列の形式をとって踊り、かつ隊列をなして地区内を巡行しつつ踊る。
 サンヤレ踊りが分布するのは、滋賀県の南部に位置する草津市の矢倉(やぐら)、下笠(しもがさ)、片岡(かたおか)、長束(なつか)、志那(しな)、吉田(よしだ)、志那中(しななか)および栗東市の下戸山(しもとやま)である。災いを祓うとともに五穀豊穣の願いをこめて、各地の神社祭礼で踊られており、草津市の各地区は五月三日、栗東市の下戸山では五月五日に行われている。矢倉地区は隔年で、長束地区は三年に一度である。栗東市下戸山の小槻(おつき)神社大祭での踊りは、「サンヤレ」の囃子詞を伝えていないが、楽器編成や、囃し手の存在、踊り振りなどの点から草津市のサンヤレ踊りと同系統の芸能である。
 草津の地は古代に近江国府のあった現在の大津市に隣接し、畿内から東国に向かう時は、多くの場合、この地を経由した。草津の地名は十三世紀末の記録にみえ、草の津、すなわち陸の物資集積の地であったことがうかがい知れる。近世には江戸から京へ向かう東海道と中山道が合流する宿場として栄え、盛んに文物の往来があった東西交通の要衝の地であった。
 本件は、「サンヤレ」という囃子詞に特色のある芸能である。貞享二年(一六八五)に刊行された『日次紀事』(ひなみきじ)によれば、近世京都近郊の村落での行事にサンヤレの囃子詞があった。また、サンヤレという語は、十八世紀初頭に刊行された『松の葉』など、当時の上方や江戸で流行した歌謡の歌詞集にみられることから、広い範囲で流行した囃子詞であったと考えられる。本件に関する記録としては、志那中地区の明和七年(一七七〇)「御神事格鋪帳」、下笠地区の天明二年(一七八二)「祭礼踊之一義覚」などがある。そのほか、下笠地区に貞享五年三月や享保六年(一七二一)三月の年紀がみえる踊り衣裳が、吉田地区の元禄十七年(一七〇四)四月五日の銘文のある鞨鼓、矢倉地区の正徳三年(一七一三)四月吉日と銘文のある陣羽織などが伝えられている。これらのことから、この地のサンヤレ踊りの始まりは定かではないが、京都で十七世紀後半に流行していた芸能がほどなく流入し、近世農村の祭礼芸能として伝承されてきたと想定される。
 各地区のサンヤレ踊りの姿は一様ではないが、独特の囃子詞を有する以外にも共通の内容を持つ。
 踊りの諸役について矢倉地区と下笠地区を例にみていくと、矢倉地区は、稚児(一)、太鼓打ち(一)、太鼓受け(一)、摺鉦(すりがね)(二)、ケケチと呼ぶ鉦鼓(しょうこ)(二)、カンコと呼ぶ鞨鼓(二)、ササラ(二)、音頭取り(二)、踊り役の頭(二)、踊り役の次頭(二)、踊り子(一二)で構成され、稚児は幼児男子、太鼓打ち、鉦鼓、鞨鼓、ササラは小学生男女の役であり、そのほかは成人男子が務める構成となっている。また下笠地区では、鼓(一)、棒振り(一)、ショウモンと呼ぶ鉦鼓(一)、ササラ(二)、スッコと呼ぶ鞨鼓(二)、摺鉦(二)、笛(四)、太鼓打ち(二)、太鼓受け(一)、音頭取り(三)の構成で、このうち棒振り、鉦鼓、ササラ、鞨鼓、太鼓打ちは男児が務め、他は成人男子の役となっている。このようにサンヤレ踊りでは、子供たちが太鼓、鉦鼓、鞨鼓、ササラなどの打楽器を務めている。各地区とも、子供たちは花笠を被り、模様染の浴衣や長着を着た上に、色鮮やかな帯を結んで腰に垂らしたり、襷を掛けて背中に垂らすなど、華やかに趣向を凝らした装いである。
 また、踊りの一行が、行列の形式をとって踊り、かつ隊列をなして地区内を巡行して歩くことも共通する。矢倉地区では稚児を先頭に、次に楽器群、さらに成人男子による踊り子の順で二列縦隊を成し、特定の家々、御旅所(おたびしょ)、地区内の神社等へと移動しつつ、二列縦隊の形式で決められた場所で踊る。下笠地区も同様で、鼓を先頭に二列縦隊で進み、宿である地区の会館を出発し、神社や御旅所を廻って再び宿に戻る途次、神社境内に祀られる各社に対して踊るほか、所定の場所で踊りを繰り返す。
 踊りは、太鼓や鞨鼓、ササラなどの楽器による単純なリズムにあわせ、跳躍や回転など簡単な所作で踊るものである。矢倉地区では、子供たちによる楽器がリズムを主導し、子供たちは楽器を奏しながら飛び跳ねたり、位置を変えたりして踊る。加えて、手に扇と榊の枝を持った成人男子による踊り子が「サンヤレ サンヤレ」と囃しながら、左右の膝を交互に高くあげて踏み替え、次にその場で右に一回転する。下笠地区の踊りは、「練り込み」と「踊り」で成り立っている。「練り込み」は踊りの場へ練り込む時の踊りで、鼓が先頭となり上半身を前後させながら足を踏み変えて進みつつ踊る。この時、鞨鼓は腰を落として、足を後ろに蹴り上げる要領で歩を進め、同時に両手で鞨鼓を前に運ぶ所作を繰り返す。「踊り」では、最初に鼓が打たれた後、鉦鼓、笛、太鼓、ササラ、鞨鼓が合奏を始める。全体にコの字型の隊形をとり、中央で太鼓打ちが、太鼓持ちの差し出す太鼓を打つ形で踊る。音頭取りも打楽器のリズムに合わせて左右に体の向きを変えながら踊り、歌う。この時、手に笹を持った人々が踊りの一行を取り囲み、音頭取りの歌う一節ごとに掛け合いの形で「サンヤレ サンヤレ」と囃していく。歌は短い詞章の繰り返しであり、手拍子に乗るようなリズミカルな歌い方で歌われる。
本件は、独特の囃子詞を伴う踊りで、芸能の構成内容から中世後期にみられる祭礼芸能の姿を今にうかがわせる貴重な伝承である。この祭礼芸能は、疫神祓い(えきじんばらい)の性格を持つものであったが、本件は近世農村の祭礼芸能として定着し伝承されるなかで、災いを祓うとともに五穀豊穣の願いを込めて行われるようになったものである。