旧富岡製糸場 繰糸所
とみおかせいしじょう そうしじょ
概要
旧富岡製糸場は,明治政府が設立した模範的な器械製糸工場である。フランス人の生糸検査人ブリュナの企画指導のもと,横須賀造船所の技師バスティアンが図面を作成し,施工は日本人があたり,明治5年10月4日に操業を開始した。3棟はいずれも木造の軸組に壁を煉瓦積とした木骨煉瓦造である。
繰糸所は敷地の中心に位置する繰糸を行う建物で,桁行が140メートルと長大である。キングポストトラスの小屋組や高い天井,鉄製ガラス窓で明るい大空間を実現している。
東西の置繭所は,繰糸所と直交方向に建つ桁行104メートル,二階建,ほぼ同形の建物である。繭を乾燥,貯蔵し,乾燥のために多数の窓を持つ。東置繭所は入口正面の建物でアーチの要石に「明治五年」の銘を刻む。
旧富岡製糸場は,明治政府が推進した産業近代化の政策を端的に物語る官営の器械製糸工場で,繰糸所と東西の置繭所は,我が国の製糸工場建築の模範となった。
極東地域において,西洋,特にフランスの技術を導入し,日本固有の技術と融合させることで産業革命を成し遂げ,世界の絹文化の発展に大きく貢献した我が国の絹産業の拠点施設であり,文化史的に深い意義を有している。