旧閑谷学校
附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭
きゅうしずたにがっこうつけたりつばきやま・せきもん・つだながただたくあとおよびこうようてい
概要
寛文六年岡山藩主池田光政封内ノ子弟教養ノ爲ニ創メシモノナリ津田永忠専ラ經營ノ事ニ當リ講堂聖堂門墻磴道其ノ他附屬工作物等ハ尚ホ舊時ノ規模ヲ存ス芳■廟ハ今縣社閑谷神社ニシテ光政ヲ祀リ舊域内ノ一部ハ現時縣立閑谷中學校ノ敷地ニ用ヒラル
寛文6年、岡山藩主池田光政が領内庶民子弟教養のため創めたもので、一部変改の跡はあるが、聖廟、講堂、小斎、習芸斎、文庫、門、石塀、石橋、石門等の主要部が極めてよく遺存している。聖廟の東に接して光政を祀る芳烈祠(閑谷神社)が建てられ、その東隣に光政の髪瓜歯を埋めた椿山がある。また附近に創立に当って専ら経営のことに当った津田永忠の宅跡及び黄葉亭がある。
郷学ではあるが、規模、建造物何れも優れ、江戸時代における学校施設の典型として教育史上価値が極めて高い。