廉塾ならびに菅茶山旧宅
れんじゅくならびにかんちゃざんきゅうたく
概要
廉塾ハ茶山ノ創始セル黌舍ニシテ初メ黄葉夕陽村舍ト呼ビ後福山藩ニ請ヒ郷校トナシ廉塾トセリ用水路ノ北側ニアリテ瓦葺ニ階建ナリ玄関ヨリ右方ノ三室ハ當時ノ講堂タリ西隅ニ土藏及風呂場等アリ又用水路ヲ隔テヽ瓦葺平屋建ノ寮舍一棟アリヨク舊時ノ規模ヲ存ス塾ノ南用水路ヲ挾ミテ茶山ノ舊宅アリ瓦葺二階建ナリ明治維新後修理増築ヲ加ヘタル箇所アルモ土藏納屋等ニ至ルマデ亦ヨク舊態ヲ存セリ
廉塾は茶山の創始した塾であって、初黄葉夕陽村舎と呼び、後ち福山藩に請うて郷校となし、廉塾とした。屋敷内を流れる用水路の北側にあって、玄関から右方の三室は当時の講堂である。西隅に土蔵及び風呂場等がある。又用水路を隔て瓦葺平家建の寮舎一棟があって、よく旧時の規模を存している。塾の南、用水路を挾んで茶山の旧宅がある。明治維新後修理増築を加へた箇所があるが、土蔵、納屋等に至るまで亦よく旧態を存している。
江戸時代に盛行した私塾の内、その旧規模を最もよく遺存するものであり、また郷学の遺構としても重要であって、その人物の優れていることと相俟って、学術上の価値が極めて高く、その旧宅のよく保存されていることも貴重である。