大曲輪貝塚
おおぐるわかいづか
概要
昭和十四年五月名古屋市ニ於テ字大曲輪ヲ通ズル山崎川ノ左岸ノ原野及畑ヲ整地シテ運動場ト為サントセシ際夥シキ土器破片及貝殻等ヲ發見セシニ依リ貝塚タルコトヲ認メラルルニ至リシモノナリ
表面ニハ厚サ數寸ノ腐蝕土アリテ貝殻及土器破片散亂シ其ノ下ニ蛤、牡蠣、灰貝等ノ貝殻ヲ主トセル厚サ七寸乃至一尺ノ遺物包含部アリ更ニ其ノ下ニモ土器、石器等ヲ包含セル黒土層アリテ基盤ヲ成セル黄白色ノ礫土層ニ連續セリ遺物トシテハ石鏃、石斧、石錐、石匙、石錘、敲石等ノ石器ヲ始メ繩紋土器、土版、土偶破片、骨角器及獸骨、魚骨等發見セラレタリ
令和3年 追加指定
大曲輪貝塚は、名古屋市の南東部、八(や)事(ごと)丘陵端部に立地する縄文時代前期の貝塚である。本遺跡は、昭和14年に陸上競技場の建設工事が開始された際に、工事予定地の畑地で土器片や石器、貝殻の散布が確認され、瑞穂小学校の北(きた)村(むら)斌(あや)夫(お)が試掘調査を行ったことが発見の端緒となった。その後、愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会の小(お)栗(ぐり)鉄(てつ)次(じ)郎(ろう)が4回にわたる発掘調査を行い、約360㎡の広さをもつ縄文時代前期の貝層が確認された。昭和16年には、東海における縄文時代の代表的遺跡として、貝層部分の約350㎡が史跡に指定された。
しかし、その後実施された陸上競技場周辺の公園整備の結果、現地での指定地の範囲が不明確となる事態が生じた。また、昭和55年に陸上競技場の全面的な改築工事に伴い、指定地の隣接地で実施した発掘調査の結果、貝層の一部は現在の陸上競技場スタンド部分にも及んでいることを確認した。この調査では縄文時代前期の貝層を掘り込んでつくられた縄文時代晩期の墓や竪穴建物を新たに確認したが、これらの遺構は前期の貝層部分を含め、調査後の工事によって失われた。
名古屋市教育委員会では、史跡の適切な保存管理を行うため、平成27年度から陸上競技場内及び周辺の遺構確認を目的とした発掘調査を開始するとともに、平成29年度には『史跡大曲輪貝塚保存活用計画』を策定し、史跡整備・活用の方針を定めた。平成30年度には、既指定地と陸上競技場スタンドの間に縄文時代前期の貝層が既指定地から連続して広がる様子を確認した。
本遺跡の貝層は、上下二層の混貝土層に分けられ、南東方向に広がりをみせる。東海の縄文時代前期の貝塚としては、大型で比較的保存状態も良好である。貝層およびその周辺から縄文時代前期中葉の土器のほか、各種の石器と骨角器等が出土しており、中でも頭部に複数の貫通孔をもつ板状土偶は東日本に多く類例が確認されている資料で、縄文時代前期の東海における土偶祭祀の地域的波及を知るうえで重要である。また、出土した貝類はハイガイやカキ、ハマグリ等の鹹水性種が多く、縄文海進期の温暖な環境を示す。エイ・サメ類やタイ科、スズキ属などの魚骨やシカやイノシシをはじめとする獣骨も出土しており、それらの内容から当時の食料や生業、周辺環境について知ることができる。
今回、条件の整った部分を追加指定し、保護の万全を図るものである。