遊子水荷浦の段畑
ゆすみずがうらのだんばた
概要
四国島の西端に位置する宇和島市遊子の水荷浦は、豊後水道に向かって延びる三浦半島の北岸から、さらに宇和海及び宇和島湾に向かって分岐する今一つの小さな岬の小集落である。岬の東南側に当たる集落背後の急傾斜面には、等高線に沿って小さな石を積み上げて壮大な雛段状の畑地が形成され、特に水荷浦では「段畑」と呼ばれている。近世から近現代を通じてサツマイモやジャガイモの栽培により形成された「段畑」は、宇和海沿岸の風土とも調和して、イワシ漁やハマチ養殖業とも深く関連しつつ、農耕を継続的に営むことにより緩やかな発展を遂げた特色のある文化的景観である。
水荷浦が位置する三浦半島の周辺は多島海・溺れ谷などから成る顕著なリアス式海岸で、急峻な丘陵斜面と深い海域から成る独特の地形を持つ。年間を通じて小雨であり、特に冬季には西からの季節風が強く吹き付ける。地質は砂岩・頁岩の互層から成り、乾燥性で酸性が強く、腐植土層の薄い土壌である。このような自然環境に基づき、水荷浦を中心とする岬とその周辺を構成する丘陵及び海域では、農業と漁業が安定的な生態系の維持に貢献してきた。特に、現在ジャガイモの栽培が行われている「段畑」では、周囲の二次林や海域と比較すると、棲息する生物の多様性が低くなっているのが特徴である。
「段畑」は平均勾配が約40度で、畑地の縁辺を成す石積の平均高さは1m以上にも及ぶ。石積の随所には登降用の石段があるほか、左右の両端には耕作者が登降するための通路と大雨の時の排水路を兼ねた石組の溝が設けられている。乾燥した土質に基づき、全体として精巧な構造を維持しており、耕作者による除草等の管理状況も極めて良好である。
「段畑」を含む周辺の地域は、地域発展の歴史に関する土地利用の変遷を示している。江戸時代後期にムギ・サツマイモの栽培が始まり、明治時代の養蚕の興隆によりクワの栽培へと変化したが、食料・アルコール製造を目的として大規模なサツマイモの栽培へと発展し、第二次世界大戦後は柑橘類の栽培へと大転換した。その後、多くの「段畑」は耕作放棄地となったが、現在、集落に接してわずかに残された「段畑」では主としてジャガイモの栽培が行われ、地域住民による「段畑」の再生事業が進められている。
昭和30年代まで沿岸海域で行われてきたイワシ漁のみならず、イワシの不漁に伴って宇和島湾内で展開したアコヤ貝の養殖による真珠生産、その後に転換したハマチの養殖業は、それぞれ「段畑」における農業とも緊密な関係の下に、地域の生業を相互補完的に維持するのに寄与してきた。
以上のように、「水荷浦の段畑」は、宇和海沿岸の急峻な地形や強い季節風など地域の風土とも調和しつつ、近世から近現代に至るまで継続的に営まれてきた半農半漁の土地利用の在り方を示す独特の文化的景観であり、我が国民の生活又は生業を理解する上で欠くことのできないものであることから、重要文化的景観に選定して保護を図ろうとするものである。