長崎警備図屏風(御非番之図)
ながさきけいびずびょうぶ(ごひばんのず)
概要
原図は宝永2年(1705)で、画面右下隅に「是より外陰乃尾の方御非番御請取之所」とあり、画面右下に「長崎御非番之図」とあるように、非番藩の警備担当区域である長崎湾の外目を描いている。画面右端が長崎湾の最峡部にあたる神崎で、ここを境にして外目を非番藩、内目を当番藩が担当した。遠見番所や煙硝蔵、島々の距離や水深の記載、また画面右上に墨書される西泊・戸町両番所より、煙硝蔵が置かれていた道生田(どしょうだ)までの海上距離と、西泊御番所からの陸上距離は当初のものと見られる。
ただ、伊王島・神之島・陰ノ尾の各島や沿岸部の小ヶ倉に見える佐賀藩の陣幕は貼り紙で、その他にも、小瀬戸遠見には番所小屋の建屋の上から福岡藩の幕が貼紙されており、道生田煙硝蔵も、本地に描かれた石垣・建屋の上から佐賀藩の幕だけが貼紙で表されているなど、佐賀・福岡両藩の陣幕や船、大きく描かれているロシア船もすべて後年の貼紙である。なお、本図と対をなす「御当番之図」が、佐賀県立博物館に所蔵されている。