羽根倉富士嶽
はねくらふじだけ
概要
明治5年に上宗岡丸藤講先達池内政五郎が、当時浅間神社のあった、現在の堤外地(荒川河川敷)に富士塚をつくることとし、約10メートルの高さの塚を築造した。その後河川改修事業により昭和初期に堤内に移転し、さらに昭和45年に県道改修工事のため現在地に移転したが、明治時代の石造物もよく保存されている。
はねくらふじだけ
明治5年に上宗岡丸藤講先達池内政五郎が、当時浅間神社のあった、現在の堤外地(荒川河川敷)に富士塚をつくることとし、約10メートルの高さの塚を築造した。その後河川改修事業により昭和初期に堤内に移転し、さらに昭和45年に県道改修工事のため現在地に移転したが、明治時代の石造物もよく保存されている。
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