宝塔山古墳
ほうとうざんこふん
概要
平地に營造せられ長さ約177尺高さ約36尺を有する壮大なる墳丘にして方型墳と認めらる中腹部に南面する横穴式石室あり、石室は美道前室主室の三部に分たれ前室は長さ約13尺9寸幅約6尺3寸高さ約6尺を有し主室は長さ約10尺幅約9尺4寸高さ約7尺1寸あり側壁は切石によって構築せられ極めて整美なる趣を呈せり。主室の中央に石棺あり蓋身の二部より成り蓋は家型の構造をなし前後面に夫々一箇側面に夫々二箇の方形縄■突起を造出し身は外側約7尺幅約3尺8寸高さ約2尺8寸を有し下底部には精巧なる繰形を施して特色をなせり、遺物は既に散迭せりと雖石室の構造石棺の型式は稀に見る所にして我国に於ける代表的古墳の一なり、現在頂上に秋元家の墓所あり。
令和3年 追加指定
宝塔山古墳は榛名山(はるなさん)から東南方向に伸びる丘陵裾野の末端、東南方向に緩やかに傾斜する台地上に位置する、7世紀中葉に築造された方墳である。周囲には史跡二(ふた)子(ご)山(やま)古墳、史跡蛇(じゃ)穴(けつ)山(ざん)古墳など5世紀後半から7世紀後半にかけて古墳が連綿と築かれており、総社古墳群と呼称されている。
昭和44年には群馬大学教育学部が発掘調査と測量調査を、平成元年には白石太一郎が測量調査を、平成19~21・23年には前橋市教育委員会が発掘調査と測量調査を行い、次のことが明らかになった。墳丘は墳長66mの大型方墳で三段築成をなす。墳丘の周囲には周(しゅう)濠(ごう)が巡り、総長は102mに及ぶ。
埋葬施設は横穴式石室である。長さ約3.3m、幅約3.0mの玄室(げんしつ)に長さ約3.9mの前室(ぜんしつ)と長さ約3.6mの羨道(せんどう)が取り付き、石室の全長は約12.0mに及ぶ。石室は截(きり)石(いし)切(きり)組(くみ)積(づみ)手法により構築され、さらに壁面や天井には漆喰が塗られる。玄室中央には刳抜式家形石棺が置かれる。石棺の棺蓋は長さ2.28m、幅1.30m、高さ0.43mで、長辺に二対、短辺に一対の縄(なわ)掛(かけ)突起(とっき)をもつ。棺身は長さ2.08m、幅1.12m、高さ0.9mで、底面付近には格(こう)狭(ざ)間(ま)状の刳り込みをもつ。
このように宝塔山古墳は終末期古墳としては極めて大型の古墳であり、整美な石室や仏教文化の影響を受けたとみられる装飾のある石棺をもつなど重要であることから昭和19年に史跡指定された。今回周濠の範囲のうち条件の整った範囲を追加指定し、保護の万全を図るものである。