雁田のヒイラギ
かりだのひいらぎ
作品概要
生育地
当該樹木は、小布施町大字雁田の集落内の個人宅の庭先にある。小布施町と高山村を画する雁田山の西麓に位置する雁田集落は、『吾妻鏡』の寿永三(1184)年二月三十日条にその名が出るのが初出(「狩田郷」)である。雁田山の主稜線や尾根上には、岩質の山体や巨岩を対象とした信仰空間が展開していた様相がうかがわれ、山麓部には重要文化財の薬師堂をもつ浄光寺、葛飾北斎の天井絵で知られる岩松院など、現在でも多くの寺院が残る。
旧雁田村は、この山と霊場を背景に成立した村落で、雁田山麓を南北に走る街道筋といくつかの寺院の門前とが交差する空間に成立したことが近世の絵図などから読み取れる。この集落の空間構成は近世以来ほとんど変わっておらず、当該樹木は少なくとも江戸時代からの地割を今に伝えている雁田地区において、同地区を南北に縦貫する道路に面して植えられ、長い年月にわたり「都住のヒイラギ」と呼ばれて親しまれてきた樹木であり、地域景観を代表する樹木と言える。