龍師火帝の碑 りょうしかていのひ

その他の画像全5枚中5枚表示

その他 / 江戸 / 東北 

傳燈叟随
山形県
江戸初期~中期
高さ160cm、幅281cm、厚さ139cm/重量不明
1基
山形県米沢市大字李山1364番地2
米沢市指定
指定年月日:20170330
有形文化財(美術工芸品)

龍師火帝の碑は、直江兼続が猿尾堰を築いた際に崩れることを防ぐために押さえの石として設置した大石の一つとして伝えられてきた。例えば、『鶴城地名選』、『鶴城叢談』によれば、文政7年(1824)の大洪水によって大石の一つが流され、そこに「龍師火帝」と彫ってあったと記されている。一方、『天雷子』では、安永2年(1773)に竹俣当綱が猿尾堰の大石を取り除いたところ、堰が崩壊したり水入りが悪くなったため大石を元に戻し、その際に「龍師火帝」と彫ったように記されている。このようにいくつかの言い伝えが存在するが、いずれにしても本碑石が堰の押さえの大石の一つと認識されていた点は共通している。また、『谷地河原御手伝川除絵図』(林泉文庫123)の河川図の中に書き込みがあり、安永2年に河川改修がなされたことに加えて、直江兼続が城下の水難を避けるために据え置いた赤石について説明されていることから、赤石と本碑石との関係は不明ながら兼続が治水のために大石を設置したことは近世段階でも認識されていたことが知られる。以上のことから、元の位置から移動している点、碑文が直接兼続と結び付くかどうかは明確にはできない点があるものの、兼続が米沢の城下町建設のために猿尾堰を構築し、その際に堰の押さえ石として大石を設置したことは近世にも認識されていたこと、その治水・利水事業が城下町建設にとって重要な意味があったと考えられていたことがうかがえる。このように米沢の城下町建設の歴史を理解する上で重要な意義を有するものと評価される。

作品所在地の地図

関連リンク

  • 地方指定文化財データベース

龍師火帝の碑チェックした作品をもとに関連する作品を探す

上杉治憲敬師郊迎跡
中津川の鉄砲堰製作技術
最上川の流通・往来及び左沢町場の景観
直江状写
直江状写

直江兼続

大明神沢の草木塔
ページトップへ