絵葉書(高岡御車山祭・城端曳山祭礼) えはがき(たかおかみくるまやままつり・じょうはなひきやまさいれい)

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歴史資料 

富山県高岡市、南砺市
【1】1900~07年3月
【2】~【7】1907年3月~1918年3月
【8】~【13】1918年4月~1933年3月/【1】明治33~40年3月
【2】明治40年4月~大正7年3月
【8】~【13】大正7年4月~昭和8年3月
紙・コロタイプ印刷(モノクロ)
【1】縦14.0cm×横9.2cm
【2】~【7】各 縦14.3cm×横9.2cm
【8】~【13】各 縦9.1cm×横14.1cm
13
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-05-19
高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡御車山の絵葉書7葉(【1】~【7】)と、城端曳山祭礼の絵葉書6葉(【8】~【13】)の計13葉である。

●高岡御車山絵葉書(7葉)

 高岡御車山絵葉書7葉である。しかしセットではなく、①(小馬出町)のみが古い別物である。他はセットであるが、小馬出町のみが無い。印刷は全て精密なコロタイプ印刷で、全て未使用である。全て四隅に丸く抑えられた痕跡がみられるので、アルバムから外されたものとわかる。
 以下、各絵葉書について述べる。


【1】「高岡祭礼出山之景」
 
 宛名(通信)面の上部には右書きで「郵便はかき」、左側に「Union Postale Universelle.」(仏語で「万国郵便連合」(※1))、及び「CARTE POSTALE」(仏語で「葉書」)とある。左下には『ヤマ「ト」』の商標がある。そして、宛名と通信文を区切る線が無い。これは明治33~40年(1900~1907)3月の型式である(※2)。
 写真面には、小馬出町の御車山(太鼓に鶏の鉾留)が大きく写されるが、下に「高岡祭礼出山之景」と刷られており、また、左後には一番街通(釣鐘の鉾留)と二番町(桐の鉾留)も小さく見えるので、祭礼が始まる前、もしくは開始直後の一場面をとらえたものと思われる。
 本座は猩々、太鼓を叩く猿のからくり人形がみえる。
 幔幕は「春秋舞楽図綴織」である。これは現在の幔幕(現幕)と同じデザインだが、現幕は昭和55年(1980)に新調された。そして、そのひとつ前の「前幕」は、明治37年(1904)に新調された。(『平成十年度 重要有形・無形民俗文化財 高岡御車山 調査報告(六)/小馬出町御車山』高岡市教委、平成11年、p42-44)。したがって、この写真の撮影年代は先述の宛名面の型式とも考えあわせると、明治37~40年(1900~07)の期間と考えられる。ちなみに、前幕の前の幔幕(古幕)は、十字や龍文様などの古代裂10枚の綴合であり、これは桃山~江戸初期の制作とされる(『企画展 近世の染・織の美』当館図録、平成9年、p44)。
 小馬出町御車山の後ろには大きな町旗が差し込まれている。現在は行われていないが、昭和15年(1940)頃の写真(※3)にはみられる。
中央の曳き手は指をからめて寛いでいる。人がすし詰状にごったがえしており、数名がカメラ目線である。
 若干の汚れがみられるが、状態は良好といえる。

★②~⑦までの共通事項として、宛名(通信)面の左側に筆記体で「Carte □ostale.」(仏語で「葉書」/□は「α」のような字だが、「P」の誤記と思われる)とある。上部には右書きで「郵便はかき」とあり、下3分の1程の所に宛名文と通信文欄を区切る二重線が引かれる。これらの型式は明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月の期間に発行されたものである(※2)。両面ともシミ、汚れがみられるが、未使用である。

【2】「高岡祭礼曳山通町」

 写真面の下に右書きで「高岡祭礼曳山通町」とある。写真は高岡御車山7基の先頭をつとめる通町の曳山である。鉾留は鳥兜、本座は大黒天、でんぐり返しをする唐子人形の前に、裃を着た2人の稚児がいる。幔幕は剣梅鉢である。曳山の前で神職がこちらを向いており神事の記念撮影と思われる。下部には赤いインクが少し付いている。

【3】「高岡祭礼曳山御馬出町」

 写真面の下に右書きで「高岡祭礼曳山御馬出町」とある。写真は高岡御車山7基の2番目の御馬出町の曳山である。鉾留は胡簶に弓矢、本座の佐野源左衛門の後ろには松と桜の造花がある。柱巻には大きな剣梅鉢文がみえる。その手前には裃姿の稚児が3名みられる。幔幕は仙境図綴錦織。神職はいないが、多くの人がカメラ目線である。左には杮葺きの建築もみられる。

【4】「高岡祭礼曳山守山町」

 写真面の下に右書きで「高岡祭礼曳山守山町」とある。写真は高岡御車山7基のうち3番目の守山町の曳山である。鉾留は五鈷鈴、本座は恵比寿である。現像・印刷が悪く黒つぶれしており判然としないが、右に裃姿の稚児がみられる。幔幕は緋羅紗地暈繝波濤模様。曳山の前に神職と紋付袴の役員らがおり、記念撮影と思われる。その右には子どもたちがカメラに顔を向けている。右奥には土蔵造り建築が並んでいる。

【5】「高岡祭礼曳山木舟町」

 写真面の下に右書きで「高岡祭礼曳山木舟町」とある。写真は高岡御車山7基のうち4番目の木舟町の曳山である。鉾留は胡蝶、本座は大黒、太鼓を叩く唐子人形、及び裃姿の稚児2名みられる。幔幕は朱地綴織宝珠模様刺繍。車輪の接地面には等間隔に突起物がみられる。神職はいないが、周囲には子どもたちがカメラに顔を向けている。左奥には土蔵造りとみられる建築がある。

【6】「高岡祭礼曳山一番町通」

 写真面の下に右書きで「高岡祭礼曳山一番町通」(現在は「街」と表記する)とある。写真は高岡御車山7基のうち6番目の一番街通の曳山である(5番目の小馬出町は無い)。鉾留は梵鐘、本座は尉と姥である。その手前に裃姿の稚児6、7名程と2、3名の大人の姿もみられる。幔幕は朱地綴織剣梅鉢紋。神主を中心に左には紋付姿(現在は裃)の役員たちと、右側には子どもたちがカメラに視線を向ける。左奥には土蔵造りの建築もみられる。

【7】「高岡祭礼曳山二番町」

 写真面の下に右書きで「高岡祭礼曳山二番町」とある。写真は高岡御車山7基のうち最後の二番町の曳山である。鉾留は桐、本座は唯一人形では無く千枚分銅、手前に「宝庫」の額と夫婦烏が留まる鳥居がある。裃姿の稚児1名がみえる。車輪は唯一の二輪である。曳山手前には祭壇が組まれ神職を中心に役員、曳き手ら多くの人がいる。入魂式後の記念撮影と思われる。


●越中城端祭礼絵葉書(6葉)

 本資料は城端曳山祭の絵葉書6葉である(神社と神輿と庵屋台(※4)4台)。
 平成28年(2016)12月1日、高岡御車山祭を含む33件の「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産への登録が決定されたが、県内3件は高岡のほか、「魚津のタテモン行事」(魚津市)及び「城端神明宮祭の曳山行事」(※5)(南砺市)である。また城端と高岡は「安永の曳山騒動」(※6)でも関係がある。

 共通事項を述べる。印刷は全て精密なコロタイプ印刷だが、当館収蔵資料「越中城端祭礼絵はがき」(15枚組中14枚/1-05-21)と比較すると、ほぼ同じアングルだが、別のものであり、また本資料はピントが少々甘い(本資料は写真キャプションが黒字だが、1-05-21は青字)。全て未使用であるが、シミ、汚れ、スレなどがみられる。
 宛名(通信)面の左側にはブロック体で「UNION POSTALE UNIVERSELLE.」(仏語で「万国郵便連合」(※1))、及び「CARTE POSTALE」(仏語で「葉書」)とある。
そして、上部には右書きで「郵便はかき」とあり、中央に宛名と通信文を区切る線(1/2線)がある。これらは大正7年(1918)4月~昭和8年(1933)3月までの期間に発行された型式である(※2)。
 以下、各絵葉書について述べる。


【8】「越中城端神明宮」

 下には「(越中城端神明宮)」とある。城端曳山祭は城端神明宮(※7)の春祭りである。同社の拝殿と奥に本殿を写す。拝殿は瓦葺入母屋造。正面には菊御紋の幔幕が吊られている。奥の本殿は瑞垣に囲まれており、銅板葺神明造である(※8)。

【9】「神輿」

 街中にて台座に据えられた春日宮・八幡宮(石清水)・神明宮の3基の神輿が写る。先頭(一番右)の神輿周辺には神職らしき3名、及び狩衣姿の男子2名がおり、それぞれの神輿には水干姿の担ぎ手数人がいる。祭礼前であろうか皆寛いでカメラに視線を向けている。
※以下、庵屋台の解説は、HP「いこまいけ南砺」(平成29年12月9日アクセス)による。

【10】「西下町(にししもまち)庵」

 西下町にある庵屋台は、明治22年(1889)4月に新調したものである。庵部分は数寄屋造りの2階建となっており、主屋・離れ二棟の京都・祇園の料亭を模したものといわれ、3代目山村十右衛門が企画・設計を行い、工匠は中田清蔵が行った。高さは3.29m。庵と水引幕の間にある「重(じゅう)」の欄間は、井波の彫刻師・大島五雲が製作し、大正5年(1916)6月に完成させた。

【11】「西上町(にしかみまち)庵」

 西上町にある庵屋台の原作は7代目小原治五右衛門が京都祇園の一力茶屋(参考:現在のお茶屋一力亭)を模したものと伝えられる。現在の庵屋台は、京都の料亭を模した数寄屋造りで、大正4年(1915)から翌年にかけて竹下理三郎により製作され、昭和31年(1956)に近代城端塗の技を集めて塗り上げられたものである。

【12】「出丸町(でまるまち)庵」

 出丸町にある庵屋台は、平屋建て二棟構えの数寄屋造り。明治32年(1899)に修復された。高さは、3.20mある。他町の庵屋台と異なるのは、庵と水引幕の間にある「重」と呼ばれる部分で、他町は木彫刻の欄間となっているが、出丸町の庵屋台の重は町内有志が作った「立体ジオラマ(寄せ造り物)の欄間」になっている。

【13】「東上町(ひがしかみまち)庵」

 東上町にある庵屋台の原作は7代目小原治五右衛門が製作したと伝えられる。その後、文政8年(1825)から天保5年(1834)の間に大改修され、9代目小原治五右衛門らの手で塗漆りされました。庵屋台の高さは3.45mある。庵部分は、江戸の料亭を模したもので新吉原の「大文字屋」「鶴屋」「扇屋」「玉屋」の暖簾が入り口にかけてある。庵部分と水引幕の間の「重」には、12枚の欄間彫刻が入っている。


【注】

※1.郵便物の円滑な相互交換など郵便諸業務の国際協力促進を目的とする国際機関。1874年創設。日本は77年(明治10)に加盟。1947年に国際連合の専門機関となる。本部ベルン。 UPU 。(HP「大辞林 第三版」三省堂、平成29年11月7日アクセス)

※2.「絵葉書の年代推定」(HP「探検コム」平成29年11月7日アクセス)

※3.高岡開町四〇〇年記念決定版写真集『保存版 ふるさと高岡』郷土出版社、2009年、p98

※4.庵屋台は、底抜け屋台の形式のもので、上部の飾りは江戸の料亭などの建築を参考にしたとされる精巧なつくりものである。かつては担いでいたが、現在は車を付けて押す形に変わっている。中には各山町の囃子方と呼ばれる若連中8人が入り、笛、三味線、太鼓で囃子を演奏しながら歩いて巡行する。
(HP「国指定文化財等データベース/城端神明宮祭の曳山行事(詳細解説)」文化庁、平成29年11月18日アクセス)

 庵屋台は、名前の通り上部が庵(江戸時代の料亭や平安貴族の邸宅の模型)になっています。下部は水引幕で覆われ、その中に各々の町の若衆(20代から30代の男性)が入り笛・太鼓・三味線を弾き庵唄を唄います。庵は精巧な模型で一見の価値があり、庵と水引幕の間の「重(じゅう)」と呼ばれる部分には欄間が飾られています。(HP「いこまいけ南砺」平成29年12月9日アクセス)

※5.【城端神明宮祭の曳山行事】
 重要無形民俗文化財(2002.2.12指定)。祭礼日は毎年5月4・5日(※指定当時は毎年5月14・15日)。保護団体名:城端曳山祭保存会。この行事は、旧城端町の城端神明宮の春の例祭で行われる行事で、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台が町内を巡行する。5月4日(指定時14日)の宵祭りでは、神明宮から3台の神輿が御旅所まで渡御する。各山町では曳山と庵屋台を組立て、神像を山宿に飾り付けて公開する。5日(指定時15日)は、神輿の渡御に続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。これらを曳くのは周辺部の農村の人々である。
 曳山は、二層四輪形式で彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの豪華なものである。庵屋台は、底抜け屋台形式で、上部の飾りは精巧な作りである。囃子を演奏しながら巡行し、途中随所で若連中により庵唄が披露される。
(同上(簡易解説)、平成29年11月18日アクセス)

※6.【安永の曳山騒動】 あんえいのひきやまそうどう
 1775年(安永4),曳山の形態をめぐって起きた高岡町と今石動町・城端町・放生津町との論争。高岡町の曳山は1614年(慶長19)以来,前田利長によって寄付された〈御免車(ごめんしゃ)〉というほどの由緒のある台鉢(だいはち)(大八)車を含む7基の引山車(ひきだし)を引き回してきた。ところが明和・安永(1764~81)のころ,次第に経済力をつけてきた石動町・城端町・放生津町が由緒ある高岡町の台鉢車と同じ形態の引山車を引き回したため,高岡町が引き回しの停止を求めて加賀藩に訴えた。この訴訟は,魚津町にある盗賊改役(とうぞくあらためやく)寺西弾正(だんじょう)の手によって裁かれた。詮議(せんぎ)の結果,高岡の瑞龍院(利長)御寄付の台鉢車は格別であり,ほかは似寄(により)の車であっても一切認めないという申し渡しがあった。〈米原 寛〉
(HP「富山大百科事典」北日本新聞社、平成29年11月18日アクセス)

※7.祭神は天照大神、誉田(ほんだ)別命(わけのみこと)(応神天皇)、天津児屋根命(あめのこやねのみこと)。創立年代不詳。元亀3年(1572)城端町草創の当初より伊勢領に御鎮座の太神宮を、天正2年(1574)この地方の惣社として今の宮地に遷宮した。貞享2年(1685)社殿を再建、嘉永2年(1849)に再び修築。明治初年、村社に列し、同5年(1872)郷社の内命を受けたが維持困難を理由に辞退。同40年(1907)神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和20年(1945)郷社に列格された。古くから「大神明」と呼称され、崇敬される。秋季祭礼は麦屋祭である。南砺市城端1668に所在。
『富山県神社誌』(富山県神社庁、昭和58年)p758

※8.HP「玄松子の記憶/神社記憶/城端神明宮」平成29年11月18日アクセス

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