婦人半身像下図
概要
1936年の文展招待展に出品された《婦人半身像》(東京国立近代美術館蔵)の下図。パステルによるこの下図からは、腕を体にそっておろしたポーズから、体の前で腕組みをするポーズへと途中で変更されていることがよくわかる。また背景を模索した形跡もうかがえる。
まず黒色でおおまかに人物をとらえたあと、茶褐色で陰影をつけ、肌色を経て最後に黄色、そしてピンクの鮮やかな色彩で線と面をかきおこしている。
下図と完成作を比べてみると、下図では視線がやや下に向けられているのに対し、完成作の女性はきりりとしたまなざしを前方に向けており、描かれた女性の表情にもだいぶ異なる印象をうける。
画中の女性が着ているのは、襟が高く、身体にフィットした旗袍(チーパオ)という中国服である。1920年代頃の日本では、中国服をまとうことがファッションとして流行したこともあり、この時期から中国服をまとった女性像が多く描かれるようになった。
よく知られた作品のひとつとして、1934年の安井曾太郎《金蓉》があげられるだろう。画中の女性は青い旗袍を着て、足を組んで座っている。モデルは日本人女性がつとめた。このほかにも岡田三郎助が《婦人半身像》を描いた同時期には、宮本三郎や前田青邨が中国服の女性を描いている。
こうした中国服の女性像成立の背景には、ただ単に中国文化に関する情報の増大やそれに伴う中国文化への憧憬だけでなく、当時の政治的な情勢も大きく関わっている。「帝国日本」が「アジア」へと向けたまなざしが隠されていることも見過ごすことができないだろう。(原舞子)