「天満宮雑費明細帳」
てんまんぐうざっぴめいさいちょう
概要
高岡市利屋町の天神祭(天満宮祭)の帳簿である。大正12年から昭和24年の26年間にわたって、祭礼に要した諸費用や寄付された金品と人名をはじめ、戦争などにより祭礼が影響される様子や、また応召軍人なども記された詳細な記録である。
まず、表紙裏には明治14年から昭和3年の主要な事項が列記してある(明治14年、高岡神社(高岡関野神社)本殿新築慶賀祭として囃子屋台。同28年日清戦争凱旋祭に花車を出す。大正4年の大正天皇御大典には提灯、及び台を新調し仮屋台を出すなど)。
利屋町の天神祭は、現在町内の龍雲寺で5月中旬に行われており、明治初期よりの由緒をもつ祭礼である(※)。高岡関野神社にご神体を迎えに行き、龍雲寺本堂内の天神堂に祀り、子供神輿も行われる。だが、本史料によると相違点がうかがえる。まず、祭礼名は「天満宮祭」として、毎年5月25日とその前後3日間に行われる。場所も町内の聖安寺(昭和33年、瑞穂町に移転)前にて「組小屋」を組み立てて行っていたことがわかる。そして、余興として福井鉄二氏の店や開発清八郎氏、また町内の専福寺前や商工会議所前などに様々な「作物」を造作していたことがわかる(昭和22年には高岡商工会議所楼上で演芸大会があり、超満員の観衆を集め窓ガラスが破損するほど盛会とある)。昭和17年には太平洋戦争開戦後初の祭礼であり、「国状に鑑み」てご神体を高岡関野神社に移して行ったとある。また町内からの応召軍人や徴発された人や復員してきた人名も列記されている。
また表紙の表題左には「昭和御大典一巻記シ」とあるように、「昭和三年十一月〔十日ヨリ/廿日マテ〕奉祝」と題し、3丁(6丁)にわたり詳細な行事の記述がなされている(惣代 津島小八郎著)。
詳細な分析は今後の調査を要するが、祭礼の記録や諸物価、また戦争などに翻弄される一町内の断片がうかがえる貴重な史料といえよう。
状態はシミ、ヨゴレ等が多数みられるが良好といえる。
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〔注〕
・高岡市立博物館企画展図録『郷土の天神信仰』2001年、p11
・本史料を保管していた竹田磯光氏はこの祭礼のことを「あげ祭り」と以前から呼んでいたとのこと。