梅松園看板(守田宝丹書)
ばいしょうえんかんばん(もりたほうたんしょ)
概要
宮野家資料。
かつて高岡市末広町にあった料理旅館 宮野梅松園で使用されていた木製看板。右読みで「楳□(公の下に木)園」、「旭陵写□長禄酔書□」と彫り金箔が押されており、印章も彫刻で入れられている。
引首印(白文長方印)「静松朝陽」、白文方印「宝丹樓/主人守/田孝印」、朱文方印「和(龢)天/不斎」(読み順不明)。
上部中央に吊り下げ用のヒートンが付けられている。
守田宝丹(1841~1912)は江戸上野の売薬商(9代目)、東京市会議員、書家。1862年、新薬「宝丹」を製造発売して財を成す。宝丹流と称する書も得意とし、商家の看板に珍重された。名は治兵衛、祐孝。字は維則。号は宝丹の他に長禄、静松園、丹正、卍、芳譚、長寿翁など。
高岡を代表する料理旅館であった宮野梅松園は、明治後期に初代 宮野一平氏(?~1912)が末広町40番地に創業し、3代目の宮野保一氏(1885~1977)が昭和17~18年頃まで営業していた(寄贈者は4代目にあたる)。なお、宮野氏の先祖は藩の足軽であったと伝わっており、宮野梅松園が営業していた土地は高岡町奉行 伊藤内膳(1594~1669)の屋敷地であり、のち御旅屋の庭園となったという。