脇差 銘 下坂忠親
わきざし めい しもさかただちか
概要
菖蒲造、庵棟。先反強い。鍛は平地小板目よく約み、鎬地柾目肌。刃文は直刃、帽子は表掃きかけて返り、裏尖って深く返る。茎は生で先栗尻、鑢目切、目釘孔1つ開く。指表に「下坂忠親」の刀工銘を切る。下坂忠親は、寛文年間を中心に筑後柳川で作刀を行った下坂派の刀工。下坂派は近江国坂田郡下坂村(現長浜市)を本拠とした下坂鍛冶にはじまり、16世紀頃には特に槍の生産で知られた。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦以後、下坂鍛冶は近江国ゆかりの大名家に招かれ、全国各地へ広まった。このうち、筑後柳川には下坂八郎左衛門が湖北出身の田中吉政に召し抱えられて入国し、筑後下坂派の祖となった。本品の作者である忠親は、同派の代表的な刀工として知られ、江戸時代に盛名のあった古今の刀工780余名を国別に図入りで紹介した『続新刃銘尽』には、筑後下坂派から唯一選ばれてその作行が評価されている。