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富山県高岡監視隊本部 防空監視隊員指定書

とやまけんたかおかかんしたいほんぶ ぼうくうかんしたいいんしていしょ

概要

富山県高岡監視隊本部 防空監視隊員指定書

とやまけんたかおかかんしたいほんぶ ぼうくうかんしたいいんしていしょ

文書・書籍 / 昭和以降 / 富山県

富山県知事 坂 信彌  (1898~1991)

さか のぶよし

富山県高岡市

昭和19年2月8日/1944年

紙・印刷,ペン書き

縦26.7cm×横19.1cm

1通

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-01-116

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

防空監視隊は、戦時下において、敵機来襲の早期発見(防空)のために設けられた組織である。本資料は防空法第6条の2(下記参照)に基づき、高岡監視隊本部において、防空監視隊員として監視通信業務を命じた指定書である。
以下寄贈者よりの聞き取り、及び付属の解説によると、寄贈者はこの資料の発行日に警察に呼び出され、この指定を受けたという。高岡監視隊本部は高岡大和(昭和18年12月開業)の屋上に仮設された事務所であり、隊長は堀 健治(後の市長)であった。
業務内容は高岡監視隊本部の下にある県西部10の防空監視哨よりの敵機発見通報を受け、東京・大阪の本部へ通報するものであった(隊長は状況を判断し、警戒警報・空襲警報を発令・解除した)。各監視哨よりの通報内容は「(敵機を発見した)監視哨名、情報番号、発見方向、高度、機種、進行方向、監視哨部員番号、高岡の部員番号」であり、その内容を本部へ通報した。
班長や隊員は当初男性で、特に隊員は青年学校生徒が主体であったが、戦争の長期化で隊員の補充が困難になったため、未熟練者や未婚女性にも門戸を開放し、戦争末期には一般隊員の多数が女性で占められるようになったという。隊員は増減が激しかったが40~50名程おり、3班体制で24時間交代勤務であった。昭和20年4月時点で全員女性の16名であった。


【富山県の防空監視体制】
 昭和12年(1937)10月、勅令によって国に中央防空委員会が結成され、富山県では10月25日に結成された(会長は土岐銀次郎知事。委員は25名)。11月1日第1回の会合が開かれ、「富山県防空計画書」が審議されている。その内容は、防空監視・通信・警報・訓練など多方面にわたっているが、防空法関係法令の各官衙・市町村・民間工場などへの周知徹底を行うものとされた。この年、県の委員会にならって市町村でも防空委員会が結成されている。
「富山県防空計画書」は年々改められ、空襲に備えて準備活動が行われた。
富山県では水力発電事業が急激に発展して、太平洋戦争開始後の昭和17年初め頃に約65,000キロワットの発電力があった。この電力の約6割は東京・大阪など大都市に送電されていた。また伏木・東岩瀬などは日本海沿岸の重要港であり、年々ばく大な重要物資を集積輸送し、この付近には多数の重要工場があった。これらの発電施設や軍需工場、港湾を防護するため富山県内に防空指定地があった。富山市・高岡市・新湊町の2市1町地域であり、富山の防空監視隊本部ほか17か所に防空監視哨が配置されていた。しかし、それでは不十分であったので、昭和16年度において高岡監視隊および8監視哨を増加し、富山・高岡2監視隊本部と26監視哨によって防空監視が行われた。防空監視は極めて重要であったので隊員の十分な経験と、正確な知識技能が必要であった。当時の状態では応召などのため隊員の異動がひんぱんであり、未熟練な隊員が多かった。要員は青年学校生徒に依存し、徴用免除の取り扱いをうけ待遇を改善することなどによって、精一ぱい訓練を励行している状態であった。
(『富山県史 通史編Ⅳ 近代下』富山県、昭和59年)

【防空法】
空襲に際しての軍防空に即応する官・民、とくに民防空を重視し規定した法律。1937年(昭和12)4月2日に公布された。第一次世界大戦後、航空機は急速に発達し、とくに昭和に入ると空襲の脅威が大きくなったため、軍・官・民すべてにわたっての防空体制が必要となってきた。すでに1928年の大阪での軍・官・民合同の防空演習を皮切りに、主要都市で防空演習が行われるようになっていたが、それらを背景に33年の第64議会で、防空法制定の建議案が可決された。これを契機に陸軍省軍務局で立案に着手したが、事項が広範、多岐、複雑で、しかも国民の権利・義務にかかわるため、陸・海・内務その他の省庁の意見が容易に一致せず、37年に至ってようやく勅令によって公布、施行された。内容は、空襲による危害を防止し軽減するための陸・海軍による防空に即応する民間の態勢で、灯火管制、消防、防毒、避難および救護、監視、警報などを迅速に行わせること、そのために道府県に防空計画を樹立させ、態勢を整えさせることなどであった。当初は防空思想の普及や防空訓練が主であったが、41年に内容が強化され、さらに太平洋戦争の戦局の悪化に伴って、43年には、分散疎開や偽装、非常用物資の配給などが加えられた。しかし本土空襲の激化に伴って実質を失い、敗戦によって機能を停止した。[吉村徳蔵]
(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)/平成28年8月20日アクセス)

【防空法】(昭和12年法律第47号)(抜粋)
第三条 主務大臣ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ規模大ナル事業又ハ施設ニシテ防空上特ニ必要アルモノニ付行政庁ニ非ザル者ヲ指定シテ防空計画ヲ設定セシムルコトヲ得
第六条 地方長官ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ特殊技能ヲ有スル者ヲシテ防毒、救護其ノ他防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得
2 第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ハ其ノ従業者ヲシテ防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得

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